我らのガボン日記 ー臨床検査技師編ー

青年海外協力隊としてガボンで輸血医療向上を目指す臨床検査技師の日記

クーデター

 

2019年1月7日早朝、

恐れていたことがついに起きました。


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朝起きたときから、外では「パンパン」「ドーン」と何度も鳴っていました。

 

 

 

「銃声...?」

「いや、まさかね...ウォーキングデッド(ゾンビものの海外ドラマ)見過ぎておかしくなってる自分」

「きっと新年祝う爆竹だ...」

「でも、妙に静かな空気...」

 

 

なんともいえない嫌な気配と、これまでの不安が頭によぎりました。

 

 

それと同時に事態を知らせる連絡が一気に来ました。

 

 

「軍人によるクーデターが発生」

「ラジオ局を占拠」

「外出禁止」

 

 

ついに起きたか...

 

 

外から聞こえてくる音が本物の銃声だと分かったとき、

今まで味わったことのないリアルな恐怖が襲ってきました。

 

 

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今、ガボンが抱えている不安

 

 

  

それは、大統領問題です。

 

 

 

 

下手な言及は身の危険を及ぼすので、

詳細に多くは書けませんし、

自身の意見を明確に書くことも出来ません。

 

 

 

 

ですが、

これもガボンが抱えている問題、

そしてそこに生きる国民と、

私たち協力隊が抱えている現実なので、

書きます。

 

 

 

 

まずは、大統領に関する歴史から

 

 

 

ガボンは1960年に独立し、

1967年から現在まで「ボンゴ一族」がガボンを統治しています。

オマール・ボンゴ前大統領は2009年まで40年以上大統領を務めました。

そして現在は彼の息子アリー・ボンゴ氏が大統領の職を務めています。

 

この大統領交代のきっかけと、その後の2期目の大統領選挙が、

いまだにガボンに影を落としています。

 

「交代のきっかけ」

それは、オマールボンゴ前大統領の死でした。

政府は彼の死を隠蔽しました。

隠し続けられるはずもなく、選挙が始まり彼の息子アリー氏が選出されました。

そして、この当時の隠蔽が現在の状況の不信を強めています。

 

「2期目の大統領選挙」

2016年、ボンゴ一族からアリー氏、野党からジャン・ピン氏が出馬し事実上の一騎打ちで行われた選挙。

結果はアリー氏49.80%、ジャン氏が48.23%で5000票余りという僅差でアリー氏が勝利しました。

この結果は「疑惑の選挙」と言われています。

もちろん野党側は猛反発。暴動が発生。

この当時の協力隊員は安全のために日本に一時帰国を強いられました。

興味がある方は暴動当時のガボンの様子が記されている記事をどうぞ。

https://synodos.jp/international/18859

 

 

 

そして現在、

 

 

 

ガボンが抱えているのは、

「アリーボンゴ大統領の健康問題」です。

 

2018年10月24日

外遊中に脳血管系の疾患(Accident Vasculaire Cérébrale: AVC)で緊急入院、緊急手術。

著しく回復し現在モロッコで療養中。

 

これまでの政府からの発表を要約すると以上のようになります。

 

しかしこの発表に至るまでに情報を二転三転、

「大統領死亡」と情報を流したカメルーンのテレビ局は放送禁止措置、

大統領不在でも政府が機能するようにボンゴ一族により憲法が改正され、

「疑惑の選挙」で結果に納得のいかない野党側が企てるデモは事前に鎮圧、

時折発表される大統領の姿や声明は合成やフェイクという情報も飛び交い、

年末恒例の大統領の国民に向けたメッセージでは後遺症を感じさせる様子、

大統領の本当の状態は不明な状態が今現在まで続いています。

 

前大統領オマール・ボンゴ氏は愛人が30人もおり、もちろん子供も大勢おり、

愛人本人やその子供、親戚が政府機関の役職に就いていたり、様々な場所で生活や仕事をしたりしています。

実際に私の職場にもボンゴという一族と同じつづりの苗字の人がおり、おそらく一族の関係者だろうと言われています。

なので、職場は誰一人として大統領の問題に触れません。奇妙なくらいに触れません。

もちろん私も大統領関係の話は外では一切しません。

 

 

 

 

前回の大統領選の出来事もあり、

この状況に細心の注意と備えをするようJICAからの指示を受けている私たち協力隊。

 

いつ何が起きてもいいように、

常にJICAからの電話をとれる状態であること、

任地以外への移動は基本的に控えること、

食料や水の備蓄、スマホや電気料金のチャージなど1週間は外に出なくてもいいように備えること。

 

これを10月から続けていました。

 

「日本に帰るかもしれない」

「任国変更になるかもしれない」

 

そんな不安と先行き不透明な状況。

 

しかしこの2ヶ月は、想像していたよりもずっと静かで、

国民は現在の政府には冷めているとも言われ、

「このまま何もなく収まるかもしれない」

そう思っていましたが、

ついに起きました。

 

どうやら日本でもニュースになったらしいです。

アフリカ・ガボンでクーデター未遂 首謀者拘束、2人殺害(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

 

クーデターを起こした兵士達は、

年末恒例の「大統領の国民に向けた声明」に絶望したため今回の事件を起こしたと言われています。

あのパンパン、ドーンという銃声、

いつも以上に近くを飛んでいるヘリの音、

これらがほんの数km先で起きていて、

そしてそこでは主犯たちが殺害および逮捕されているということを考えると、

ただただ恐怖を感じます。

 

クーデター発生の7日朝8時半からは政府による通信規制で携帯会社のインターネット通信、家のWiFiが不通となり、情報は電話のみとなりました。

テレビもラジオも無いので、外は何か起きているのか分からない状況。

LINEも出来ない、調べ物も出来ない、ネットの無い生活の不便さと不安さを実感する時間となりました。

もし国際電話をかけるとなっても、そもそも国際電話のかけ方を知らないのでネットで調べるしかないけどもネットが使えない。

事前に最悪の事態を想定しての準備は大事だと痛感しました。

 

翌日昼にネットは通じるようになり、

今こうしてブログをかけていて、

少しだけ元の生活に戻っているように感じます。

 

 

 

大統領の存在により、

国の治安が左右され、

そこに生きる人々の生活と安全も左右される。

そして私たち協力隊は志半ばでこの国を離れざるを得ないかもしれない。

 

 

 

これが、多くの途上国が抱えている問題です。

 

 

 

日本で、テレビで見ていた遠い他国の出来事が

今、自分のすぐそばで起きていて、

それに影響を受け想像以上に恐怖を感じるのだと実感しています。

 

 

 

どうか平和を保ってほしい

 

 

 

ただただ願うばかりです。

 

 

 

今後ガボンはどうなっていくのか...

黙って見ていくしかありません。

 

 

日本から心配して連絡をくれた皆さん、

ありがとうございました。

電波が戻ったとき、メッセージを見て嬉しかったです。

 

 

★おまけ★

外出禁止により突如与えられた暇な時間。

毎日見まくっているウォーキングデッドはネットが無いので見られず、

暇すぎて、

掃除し、

フランス語の勉強を少々と、

フランスパンを焼き、

 

アーモンドをシナモンと砂糖で煎て、

 

外にいる猫たちを眺め、

 

暇だ暇だ暑い暑いと言ってすごしました。

 

ネットって偉大です。