我らのガボン日記 ー臨床検査技師編ー

青年海外協力隊としてガボンで輸血医療向上を目指す臨床検査技師の日記

最後の2日間

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ガボンの空港での1枚📸

 

急遽決まった帰国により、それまで3ヶ月半あった残りの活動期間が一気に数日へと変わりました。帰国日が決定したのは出発の数時間前だったので、最後に活動出来たのはたったの2日間。しかも1日目はJICAで集まりがあったので午前中のみ、2日目はフライトが告げられた午後2時すぎまで。

 

 

この慌ただしすぎた2日間をどうやって過ごしたか、書いていきます。

 

 

自宅待機指示が解除された翌日、輸血センターへ大量の荷物と覚悟を持っていきました。

荷物は今後使用しようと思っていた活動の道具。覚悟は帰国とお別れを伝える覚悟。

 

センターへ向かう途中、当たり前だった通勤風景もこれが最後かと思うと感慨深く、到着までに交わす店の人たちとの挨拶も特別なものに感じました。

 

到着してからはもう1分も無駄には出来ません。早々に、帰国の報告をして回りました。カウンターパート、いつも活動していた製造部門の人々、検査技師たち、看護師たち、医師たち、仲良くしてくれた職員さんたち。

JICAからは「コロナの影響で帰国するとは言わないように」と指示されていましたが、このご時世でそれは無理です。なにより日本人への信頼を失いかねないと思い、正直に話していきました。

一人一人に急だけど日本へ帰ること、いつ帰国か分からないけど残りの時間は僅かな事、そしておそらくガボンには私は戻ってこられないことを説明していきました。説明しながら涙を流す私を抱きしめ、大丈夫だよと声を掛け、最後まで聞いてくれるみんなの優しさにさらに涙が止まりませんでした。

 

なかでも一番辛かったのは、製造部門の人々。もはや彼らは私にとっては家族です。

そんな人たちとの突然すぎる別れはお互いにとってつらく、言葉を失って下を向く人、一緒に涙を流す人、驚いて何も言えなくなる人、感謝の思いを伝えてくれる人、様々でした。

「マイとここで一緒にいるのが普通だったのに、本当にいなくなっちゃうの?」

「Ma fille(私の娘)はここに残るべきよ」

「マイはここに沢山のことを教えて残してくれた」

大好きな人たちからの言葉は時間がたっても鮮明に覚えています。

 

でも悲しんでばかりはいられません。今日は活動を進めに来たのです。

 

まずは採血中に具合が悪くなった人の脚を上げるようのクッションの改良。

迷走神経反射を起こした献血者は、これまでただほっとかれるだけだったのですが、脚を上げれば回復が早くなるのでそれ用のクッションを買って使うように指導してきました。最初の頃は厚みのあったクッションですが、ガボン人の立派な脚に踏みつぶされ薄くなっていたので、他の隊員が捨てる予定だった毛布を貰い、厚くする材料にしようと思っていました。

ということで、さっそく床に毛布を広げて半分に切り、クッションの中に頑張って詰めていきました。マイが何か不思議なことをしているとみんな覗いていくので、しっかり説明し、納得させていきました。

ガボン人は「無いものは買えばいい、買えないのならあきらめればいい」という人たちです。自分たちで改良して作るという発想はあまりないので、私の姿をみて「物を組み合わせればできるんだ」ということを感じ取ってもらえるように思いを込めてクッションを完成させました。

 

Before 

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あまり薄さを感じませんが脚を乗せるとぺしゃんこです。

After

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厚くなりました

 

採血の看護師さんに渡すときに「C’est Mai(これは私よ)」と言って渡したら、みんなこれを撫でて大事にしまってくれました(笑)使ってね。

 

 

次は血液型判定の技術伝授です。

 

 

血液型が上手く判定できない検体があると、最近は技師さんが「分からないから教えて」と私を呼んでくれるようになっていました。

この状態を残り3ヶ月続けていけばいい感じに知識も技術も伝授できるぞと思っていたのですが、そんな時間は無くなったので諦めるしかないかと考えていたところ、なんとタイミングよく「判定不可」の検体が登場!

ということでこの絶好の機会を有効活用するために、この検体をみんなで考察して、検査して、最終判定することにしました。

 

検査技師さん用にどんな検体だったか記しておきます👇

・スライド法ではコントロール含めてすべてで凝集

・直接クームスは陽性(ゲルカラム法)

・3回洗浄後にゲルカラムで検査するとやや凝集が弱くなる。

 

この状態から考えられることを技師さんと共に考え、次に何をすべきかを上げさせました。

これがまあ大変!もっと前からここに加わりやっておくべきだったと猛反省。

そして行ったのが、

・まず加温

・温水で洗浄

・試験管法で血液型判定(ガボンには試験管法での血液型判定技術は無いので正真正銘一からの伝授です)

 

これが私とやる最後の検査と分かっているのでみんな超真剣です。それに応えようと私も超必死。一生忘れられない、技師と技師の本気の時間になりました。

 

上手くいくか内心ドキドキでしたが、何とか無事に血液型判定が完了。上手くいったことで、技師さんたちもこの方法は有効だと理解してくれたようで安心。

 

今の段階では技術も知識の移転も中途半端な状態で、彼らだけで今後できるかは不安な状態です。

でも百聞は一見に如かずで、これまでに何度か私が教えて見せたものを、彼らが記憶にとどめていてくれれば今後きっと進展はあると信じています。

 

こうして、タイミングよく現れた検体によってラボの技師さんとも有意義な時間を過ごすことができました。検体に感謝!

 

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ラボのみんなと📷

 

 

そしてここからが大事な仕事、引き継ぎです。

 

 

ガボンでは急に人事異動が起こり、上手く情報も何も引き継がれずにいなくなります。

私はそれが大嫌いで、この責任感の無さに呆れる日々でした。

 

私はそれをしたくないし、責任ある仕事を見せたかったので帰国が決まったときから関係部署へのデータの引き渡しと残りの仕事の引き継ぎおよび今後の協力依頼を準備しました。

夜な夜な作業し、特にお世話になった技師には引継ぎ内容とともにお礼の文章も書き、USBごと託すことにしました。この時間がもう、涙涙。深夜2時に泣きながら作業を続けたあの時間は、輸血センターへの思いを強くさせた良い時間でした。激疲れでしたけどね(笑)

 

USBを受けとった技師は私の覚悟と思いを悟ったかのようにしっかりと話を聞き、大事にUSBをしまっていました。引き継ぐことの大事さを分かってくれていたら嬉しい限りです。

 

そして、残っていた仕事を今後どうするか、対象の職員たちと話を進めていきました。

協力隊の最後の半年は「見守り重視」でいく予定で動いて、実際に動く活動はほぼ終えていたのでマニュアルや輸血検査の教科書作りに時間を使っていました。幸運なことに、インターネット環境が発達しPCも使えるガボン人同僚とは、日本―ガボンでもこの活動を続けることができます。直接お尻を叩かないと働かないガボン人なので難しい点も多いですが、しつこく連絡を取って完成させようと思います。

 

 

こうやって時間を過ごしている間に「今夜出国します」という連絡が来ました。センターの入口にいた私は思わず「やばーーーーーい!」と叫んでしまうほどに仰天でした。

 

本当は一刻も早く荷造りをしに家に帰るべきでしたが、どうやら技師さんたちが送別会を開いてくれるようで帰れません(笑)

 

私の大好きなセネガル料理を作るために休みをとって準備してくれていたママ的存在の技師さんも急遽大急ぎでセンターに来てくれ、会が始まりました。(本当はその日の夜、ママの家でご飯の予定だったのです…、食べたかったyassa)

 

製造部門の長で一緒に血小板を作った仲間エブラが、私がこのセンターでやってきてことを一つ一つみんなに説明してくれ、こんなにもちゃんと見て理解してくれていたのかと知れて大感動、号泣。もちろん一番の功績は満場一致で「血小板」でした笑。センターにたくさんの変化をもたらしてくれた感謝、まだ一緒に居たかったこと、これからはネットで一緒に活動を進めていくこと、そしてこれは永遠の別れではなく「また会える別れ」ということ。私の帰国を一番悔しみ、最後に涙を流した彼の存在は間違いなく、最高の同僚だったと思えた瞬間でした。

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大好きなみんなと📷

 

 

こうして、慌ただしかったけれども濃厚で有意義な時間を終えました。

一緒に時間を過ごしてきた技師さんや医師、職員に囲まれて最後の時間を過ごせたことは本当に幸運で、恵まれたことだったと思います。

世界中の隊員で、離陸10時間前まで活動先にいた隊員は私だけだと思っています笑

 

 

急すぎる帰国、しかも理由は新型コロナウイルス

まだやりたいことも、教えたいことも伝えたこともあった。3ヶ月後のゴールが見えていただけにその悔しさは大きく、未だにやりようのない思いに苦しくなる時もあります。

 

でも帰国という判断は間違いではなかったし、閉鎖される空港や欠航していく便が次々と増えていく中で帰国オペレーションをしてくださったJICAの関係者の皆さんには感謝してもしきれません。

 

 

4月13日現在ガボンは、感染者が57人(1名死亡)、国境閉鎖、2週間の外出禁止令の最中です。輸血センターは医療機関の為、血液製剤の払い出しは継続して行っていますが混乱している様子です。

 

 

どうかどうか、早く落ち着いて世界が穏やかになってくれることを願っています。

 

 

現在私は東京にとどまり、JICAの今後の指示を待ちつつ就職活動をしています。もし輸血関連の仕事の空きがあるよ!という医療関係施設がありましたらぜひお知らせください。働きたいです。

 

今後は、書ける範囲で輸血センターのシリーズを続けて書いていきます。

 

では最後に、仲良かった職員さんとの写真で終わります。

 

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☝️パパ的存在ラミン、通称ラーラー。ムードメーカーで私の良き理解者でした。


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☝️おそらく今後どんどん出世するであろうセドリック。私が高熱出した時もすぐに検査結果を出してくれた優しい技師さん。

 


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☝️いじりがいのあるビクトリアと超真面目でよく語り合ったリン。


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☝️エブラの奥さんローレンヌ。とにかく優しかった。

 


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☝️センター1の美人さんで超お偉いさんのマダム・ナン。彼女に感謝の言葉を貰った時は廊下で大号泣でした。


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☝️医師のサンドリンと、施設長のオリビエ。よく意見がぶつかり合って泣かされたし腹立ってしょうがなかったけど、これもいい思い出です。

 

おまけ。

最後に輸血センターから貰ったもの
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ガボン協力隊の間で頭を悩ますプレゼントの一つ。石で出来たガボン地図の額縁。これが、重いのなんの!! スーツケース重量オーバー必須のお土産です。まさか私も貰うとは… 

 

では、次回は凍結血漿製剤について書きます。