我らのガボン日記 ー臨床検査技師編ー

青年海外協力隊としてガボンで輸血医療向上を目指す臨床検査技師の日記

ガボン国立輸血センター⑩ -広報部門-

びっくりするほど時間が経っていました。

元気にしています。

 

 

最近は協力隊の活動をお話する機会をいただきまして、ラジオに出たり、オンラインイベントで発表したりなどしています。

ちなみにラジオは青森県の青年海外協力協会のFacebookで聴けますので、興味のある方はぜひどうぞ!

「輸血に魅了された女性」としてがっつり紹介していただきました(笑)

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さてさて、今回は輸血センターの中の広報部門についてお話します。

ここ数か月で驚くべき成長を遂げている彼らの頑張りを紹介します。

 

 

2018年に就任した敏腕センター長が力を入れていた一つがこの広報部門。

 

 

「あなたがあげたその血液はどうやって使われるか知っている?」

と聞くと、

「儀式に使われるんだろ?」

と本気で答える人がいるくらい献血文化が無いガボン

 

 

献血」という言葉と、その正しい知識を広げることがいかに重要なのか分かりますよね。

 

 

私がこのセンターで働き始めた当初は何をしているのか分からないくらいひっそりとしていた広報部門ですが、セネガルでコミュニケーション学を学んだという新たな部門長が採用され徐々に変化を遂げていきます。

 

まずは、屋外での献血広報活動

 

数日後に出張採血が行われる予定の会場で、事前の広報活動を行います。

通りすがりの人に声を掛け、「献血を知っていますか?」「病気の人の命を救えるんです」「自分の血液型も知れますよ」など説明していきます。

私も一度参加しましたが、説明を受ける側がどんどん質問をしていくのがかなり印象的でした。

 

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(学生に献血について教えています。結構大人に見えますが、学生です)

 

そして出張採血当日も、採血班と共に会場へ行きひたすらに勧誘をします。

 

企業やイスラム教などの団体に出向き、献血に関する講演をすることも始まっていきました。

 

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(工事系の企業での献血事前講習)

 

広報部門用の帽子やベストが出来上がり、本格的に広報している感が出てきました。いい感じですよね。

 

 

やっと存在感の出てきた広報部門ですが、ある日突然部門長が解雇され再び勢いが失速し始めます。この国の突然の人事異動には心底驚きます。

 

 

この頃私は何を行っていたかというと、輸血センター内のカフェ(献血者に軽食を提供する場所)で満足度アンケートを行っていました。

目的は、今後の活動方針を決めて1年間でどこまで変えられたか達成度を見るためです。

主な質問事項と調査結果は、

・施設の清潔具合について … 汚い:2%、清潔:58%、とても綺麗:38%

献血時の待ち時間について … 長い:19% 、適切: 73%、短い: 8%

・施設の職員の態度について … よい、好感が持てる:100%

・「感染症の検査結果」を返却しているサービスを知っているか … はい90%、いいえ10%

・施設の営業時間について知っているか … はい60%、いいえ40%

・施設のFacebookについて知っているか … はい1%、いいえ99%

献血された血液がどうやって使用されるか知っているか … はい55%、いいえ41%

・また献血をしたいか … はい:92%、いいえ:5%

 

意外とこの1時間くらいの待ち時間でも満足なのかとちょっと拍子抜けし、ほんとにまた献血したいって思ってるのかよなど予想外の結果が出ました(笑)

でもしっかりと問題点も判明し、施設のサービスについての広報が不足していることが分かったため、これに重点をおく活動をしていくことに決めました。

 

 

しかし、どうやって広報を行うか…

 

 

案内を作って壁に貼る?ポスターを作る?貼ったところで施設長が剥がすに決まっている…

ならば貼らない方法で、物がなくても作れて、私が居なくなっても残るくらいきちんとしたものを…

 

 

皆さんならどんな方法を考えるでしょうか?

 

 

私が考えに考えて作ったのが、カフェのテーブルに置く小さいPOPです。

↓ 施設のオープンとクローズの時間を教えるPOP、絵は私が描きました。

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↓ 献血後に受けとれる感染症の検査結果の受け取りについて説明するPOP

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(どちらにもしっかりFacebookの存在を教えるロゴも入れました)

 

綺麗なものを好むガボン人なので、デザインや字体は美しくすることを第一に心掛け、その中で伝えるべき情報を確実に記載して、大きすぎず小さすぎないサイズにしました。

Apple pencilも駆使しして絵も描きました。

日本だったら百均でカードホルダーなど売っていますがガボンにはありません。

でもテーブルに置きたかったので工夫した結果、JICAにあるラミネートを利用して上手く折ることでテーブルに置けるタイプのPOPを完成させました。

 

有るものから無いものを作る」、わくわくさんを見て育ってきた私の勝利です。

 

美しく仕上がったのでガボン人も受け入れてくれ、カフェのテーブルだけでなく受付などにも置いてくれました。

 

 

そしてここからどう変わっていったか…

 

 

本来であれば帰国前に同じアンケートを行い、いかに効果が出たかを数字で見たかったのですが、残念ながらコロナで早期帰国したため1年後の達成度をはかるアンケートは実現しませんでした。

 

 

かなり悔しいですが、実は大きく成果が表れたものがあります。

 

 

それはFacebookのフォロワー数。

 

 

アンケート実施時はセンターのFacebookフォロワーはほぼ輸血センターの関係者ばかりで200人程度でした。そしてそのFacebookに載っている内容も献血している様子の写真だけなど、何のための広報なのか分からない状況でした。

 

そんな中で新たに広報部門に採用されたIT系男子が献血までの流れを説明する動画を作ったり、「赤血球製剤とは」など一つ一つを簡単に説明する広報を載せたりなど始めたため、私はこれをベタ褒めしまくってどんどんこういうのを作っていこうと背中を押しました。

 

その結果、フォロワーは2020年12月現在なんと約3600人にまで達しました。

ガボンの人口が200万人なのでなかなかな数字ですよね。

 

Facebookの存在を知らせるPOP、そしてそこで伝える充実した内容、この2つが相まってフォロワー数を増やし続けていると思っています。

ちなみに広報のデザインのクオリティが高まりまくっていて毎度驚かされます。

 

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(1週間の献血者数や感染症結果の受け取りなどの施設サービスの利用者数を知らせる広報。いいデザインですよね!)

 

 

さて、ここからはコロナ禍で前進し続ける広報部門をはじめとする活躍内容についてお伝えします。

先に言いますが、凄いです彼ら。

 

 

まずはガボンでの新型コロナウイルスの感染者の状況は、

1週間の新規感染者が500人を越える時期(特に6月が多かったようです)もありましたが、外出制限などの対策に冷静に従った結果最近は1週間で70人前後の新規感染者となり、11月30日までの累計感染者数は9191人で死亡者は59人とかなり落ち着いている状況です。

 

 

このコロナ禍での外出自粛に対応した取り組みが、「血液型と感染症の結果」の返却方法です。

それまで直接輸血センターまで来て結果を受けとりに来ていましたが、気安く外出できなくなった状況に対応し、なんとEメールでの返却サービスを始めました。

郵便がないガボンではこれは便利な方法です。素晴らしい!!

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(Eメールでの返却開始をお知らせする広報。これもFacebookでしっかり広報されていました。)

 

 

次は、コロナ禍で減りそうな献血者を増やしつつ、自身の健康について意識させる取り組みとして、「献血カード」の発行が始まりました。これがまた素晴らしい!

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(カードの見本)

このカードを保有することによって緊急時の自身の血液型証明として使え、血液製剤の1バッグが無料となるようです。他にも、医師の診察が無料、献血イベントへ招待など特典が結構ついています。

3回目の献血時にこのカードが発行されるため、とりあえず3回は献血しようとするリピーターを増やすことができるし、複数回の血液型検査によって血液型も確定できます。きちんと考えていますよね。

この取り組みは以前から構想を練られているのを知ってしましたが、実際に開始できたことに心から拍手を送ります。

 

 

最後は、大改装(笑)!!! 

4月~6月で行われていたようですが、外出規制で献血者が減って施設に来る人が減ったことを上手く利用したようで大改装が実施されました。

 

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ガボン独立記念日を祝う装飾もすごい)

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(ホテルかと思うほどに綺麗になった待合室)

 

元々この時期にやる予定だったのかもしれませんが、規制がかかっているからと中止せずに見事にやり遂げた輸血センターには脱帽です。よくまあこの時期にやったな!と初めてZoom中継で見たときは超驚きでしたが、コロナに負けるどころか上手く利用する施設の姿勢と強さに尊敬の気持ちでいっぱいです。

でもこの改装費のために試薬が買えなくなったり、採血バッグの質が落ちたのはモヤモヤします。

 

 

こんな感じで、輸血センターは大躍進を続けています。

 

 

広報部門の活躍は今後も大期待ですし、確実にガボン献血文化を定着させていく大きな存在になると思っています。

 

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(あなたの血液型は何型?と聞いている広報。コロナに負けずに頑張っています)

 

 

次回はそろそろ締めに入ろうかなと思っています。

ガボン国立輸血センター⑨-払い出し部門 -

ずいぶんお久しぶりになってしまいました。

2020年7月8日、青年海外協力隊の2年間の任期を終えました。まさかこんな形で終えると思っていなかった最後の3ヶ月。いろいろな思いが込み上げて、こうではなかった世界に思いをはせ、悔しさと向き合った時間となりました。

でも、まずはブログを最後まで書いていきます。

 

 

5月のことになりますが、大変光栄なことに、アフリカ情報サイトAll About Africaに私の記事を掲載させていただきました。ガボン献血と医療事情にフォーカスを当てたもので、私の想いもこもった熱い記事になりました。

ぜひご覧いただけたら嬉しいです。

all-about-africa.com

 

 

さて今回は、これまで説明した行程を経て完成した血液製剤がどうやって患者の元へと届くのかをご紹介します。軽いカルチャーショックを受けますよきっと。

少々長めです。

 

 

では行きましょう。

 

 

製剤が作られたあと、その手作りされたての製剤は、製造スペースのすぐ隣の部屋に持っていかれます。

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ここの冷蔵庫または冷凍庫で一時的に保管されます。

 

ちなみに、この部屋にある冷蔵庫たちは、家庭用冷蔵庫ではなく、製剤保管に適した唯一の血液専用冷蔵庫たちです。

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日本で輸血製剤を扱う方々には馴染みのあるこの冷蔵庫!!

 

ここで保管された製剤は、血液型と感染症の検査の結果が出るのを待ち、結果が出たらすぐにラベルが貼られます。

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(これはHIV陽性で廃棄される製剤のラベル)

 

日本では血液型ごとに色分けされていますが、ここは白一色です。ちなみに、「日本は血液型ごと色が違うよ」と教えたら、「遠くから見ても一瞬で分かるね!」とみんな大感動していました。

 

正式に製剤としてデビューしたものは、一番大きい冷蔵庫と冷凍庫に保管されます。

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↑冷蔵庫
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↑冷凍庫

この冷蔵庫の赤血球製剤が、首都とその近郊地域の全在庫になります。

中を開けるとスッカスカのときが多く、在庫不足は深刻な問題になっています。

よって、常に枯渇状態なので製造されてから1週間前後でほぼすべての製剤が世に出ていきます。

凄いときは採血された当日に出ていくので、白血球や梅毒が心配です。

 

 

このあとこの製剤はどのようにして患者さんに輸血されていくのかを説明していきます。

 

 

まずは日本の輸血の流れを。

日本では、病院に来た患者さんを検査して輸血が必要だと判断されると、医師が輸血を検査部や輸血部にオーダーして、輸血検査用の採血を看護師さんがして、オーダーを受けた検査技師はその患者さんの血液型や不規則抗体というものを検査します。そして日本赤十字社から購入して納品された血液製剤と患者さんの血液との適合性を検査して、適合すると、その製剤を看護師や医師に渡して、患者さんへの輸血がいざ実施されます。そして全ての治療が終了後、医療費を支払います

多少の違いはあるものの、ある程度の規模のある病院では、通常の早さで行えばオーダーから輸血開始まで1時間ほどで済みます。もちろん患者さんは輸血を待つだけでいいのです。

 

 

日本では当たり前のこの流れ、ガボン(アフリカ各国)では違うのです。

 

 

私が知っているガボンのスタンダードな輸血までの流れを説明します。

① 患者が病院へ行くと医師は血液検査の処方箋を書いて患者に渡し、患者は診療費を支払います。

② 患者はその処方箋を持って検査可能な施設へと行き支払いをします。大学病院や大きめの病院では自施設で検査室を備えているため院内の移動で済みますが、個人病院の場合は検査専門の施設へ行きます。

③ そこで採血をした後、結果が出るのを待ちますが、結果が出るまでが長い!

日本では15分もかからない検査に、ガボンではほとんどの施設で半日~1日以上かかってやっと結果が渡されます。

④ 待ちに待った結果を受けとると、それを持って病院へ戻り医師に結果を見せます。

⑤ 医師が輸血が必要だと判断すると、次は血液型を検査するための血液検査の処方箋を書いて渡します。

⑥ それを持って再び患者は検査へと向かい、会計を済ませます。

⑦ 検査室で採血をして、再び検査結果を待ちます。ちなみにどこの施設でも血液型はスライド法の「オモテ検査」のみで判定しています。

⑧ 血液型の検査結果を受けとると、それを持って再び病院へ戻り、医師に結果を渡します。

⑨ その結果を見て、医師は患者の血液型を記載した輸血製剤の処方箋を書いて患者に渡します。

⑩ 患者はその処方箋を持って輸血センターへ行きます。この時点で、患者本人よりは患者の家族が処方箋を持ってくることが多くなります。でも、患者本人が輸血センターへ持ってくることももちろんあります。

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(輸血センターの昔の血液製剤払い出しの入り口、今は改装されて綺麗です)

⑪ 処方箋と採血検体を輸血センターの受付に出すと、患者(家族)は待合室で待つか、以前紹介した「1バッグにつき2人のドナーを連れてくる」という半強制的な献血制度で献血をしながら待ちます。

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(最近改装された、綺麗な受付)

⑫ さあ、ここからが日本でいう検査部や輸血部の仕事の始まりです。

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(検査のスペース。狭めです)

輸血センター内のDistribution(直訳で配布という意味)で、受けとった採血検体の血液型を検査技師が検査します。

処方箋に書いてある血液型をそのまま採用するのではなく、センターの技師が検査をして血液型を確認するのです。素晴らしい。

ちなみにここでも血液型はオモテ試験のみです。さらにRhのフェノタイプを検査して、センター内の輸血システムに登録されている血液型と一致しているかを確認後、同じ血液型、同じRhフェノタイプの赤血球製剤を選択します。

そのあとは、血液製剤の血球と患者の血漿を反応させて交差試験を行います。ちなみに、IgGのカードを使って検査をしています。(検査詳細等はこの後ご紹介)

ここで適合という結果が出ると、輸血システムで製剤を患者に割り付けて、製剤を払い出す準備をします。そして、会計の伝票を検査技師が作成します。

⑬ 会計を受けとった受付の担当者は、患者(家族)に支払いを求めます。病院が公立か私立か、ガボン国民皆保険に入っているか否か、特定疾患なのか、妊婦なのか新生児なのか、こういった細かい区分で値段が変わってきます。決して安くはありません。結構高いです。

⑭ 支払った後、患者(家族)は受付に「保冷のバッグ(ジップロックの保冷バージョンの様なもの)」を渡します。もしこれを持っていない場合、近くの薬局に行って購入する必要があります。輸血センターで販売すればいいのに、何かあるらしく、センター内では販売できないらしいです。

⑮ 検査技師は保冷バッグに血液製剤を入れ、適合証明書類と共に患者(家族)へ渡します。輸血センター内での待ち時間は約1~2時間ほどです。

⑯ 受けとった患者(家族)は、薬局へ行き、輸血するのに必要な物品を購入します。

⑰ 製剤と物品を持って病院へ戻ります。

⑰ 血液製剤を受けとった看護師や医師は、準備をして輸血を開始します。

 

さあ、いかがでしょう。なかなか衝撃ですよね。大きい病院や頻繁に輸血をしているようなエイズ専門病院では1日前後で輸血が出来ますが、そうでなければ2~3日はかかる大掛かりな医療になります。輸血をする理由は、マラリアエイズ、がんによる貧血や、手術などが多く、ヘモグロビンが5g/dLを切っている患者が多いので、患者本人はかなりしんどい状況で待たされることになります。さらに、料金はすべて前払い制必要物品も自分で購入するため、お金が無ければそこで終了になります。厳しい現実です。

 

地味に怖いのが、やっと製剤を受けとった後の患者や家族の行方で、病院まで直接行っているのか、どこかに寄って行っているのか、家に帰って冷蔵庫かどこかに保管してから翌日病院へ行っているのか、これについては謎です。

このことについて調査しようとしていましたが、急な帰国で叶いませんでした。かなり悔しい。

 

この輸血体制が良くないと理解している輸血センター側は多くの改善に取り組んでいます。

・患者本人や家族ではなく、医療施設の職員が輸血製剤を取りに来るように呼び掛けている

・輸血の緊急度を医師に記載させ、払い出すスピードを3段階に分けて調整する

・込み合う時間帯は2人の技師体制で払い出すまでの時間を短縮している(これは私が強く強く意見して実現しました)。

・保冷バッグに製剤を入れて移動させる(以前は、直接手渡しだったのです)

・輸血センターの分所を大学病院に設置して、患者の負担を軽減させている。

 

こういった取り組みを行い、徐々に輸血医療体制が現在進行形で改善されています。しかし、この一連の流れの改善はまだまだ必須であり、伸び代もかなりある領域だと思います。ここを改善できれば、救命率は上がる、そう感じています。

ちなみに、ITに力を入れているアフリカのルワンダではドローンによる輸血製剤の運搬が行われています。おもしろい記事です👇。

japan.cnet.com

 

さて、日本でいうと病院内の輸血部にあたるDistributionという部門についてもう少しだけ説明します。

製造部門とこのDistributionは隣同士のため、頻繁に私はこの部屋に出入りして様子を見つつ地道に改善活動を行っていました。

日本と違い「スピード」は重視されないため、のんびりおしゃべりしながらゆっくりと働く技師さんが多い中、この部門の長であるエブラ(製造部門の長でもあり、よき理解者)は作業効率の改善を試みていました。そこに私も加わり、色々と意見を出していく中で「2人体制」という結論に至りました。でも、やはり2人が一緒だとおしゃべりが進むため、部屋を分けて2人体制になったのです。そしてある日突然始まったのが、2つ目の部屋を作る工事!面白いので写真付で紹介します笑

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↑壁が急に無くなった日


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↑作業机まで壊された日


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↑レンガの壁が出来た日(ちょっとズレたらしく、後日再び並び替え)


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↑壁が綺麗になってきた日


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↑普通にビビるほど綺麗になった日


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↑物品が置かれ、検査室になった日

 

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↑更に壁と扉がついた日


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↑壁がスクリーンになった日

 

すべて手作業で、まるで3匹の子ぶたのレンガの家を作る光景でした。

 

次に私はここで行っている検査の改善を試みました。

まずは血液型。血液型はスライド法でオモテ検査のみの判定のため、ウラ試験の導入もかなり推しましたが、これについては失敗に終わりました。

却下の理由は、時間とお金がかかるから。血球試薬を買うお金と、不慣れな検査でかかる時間はガボン人には難しいようです。

次にRhフェノタイプ。これは輸血後の患者さんにも毎回検査していました。一生変わらないし、輸血後は正しく判定できないし、試薬の無駄ということを1年近く各技師に説明していったら「初回検査のみ」という方法に変更になりました。勝利です。コストと時間の削減に貢献しました。

最後は交差試験。どうしようもなく雑な手技だったので、量を守ることなど基本的なところから地道に指導していきました。しかし、センター外観の工事に予算が消費され、検査用のIgGカードが買えなくなり、患者には秘密で半年ほど交差試験をせずに「適合」として払い出していました。完全な、詐欺です。検査レベルを上げようとしても結局全ては金で振り回される。悔しいですが、これが途上国での活動の現実です。

 

 

以上、このような流れでガボンでは輸血が行われているという紹介でした。

なかなか衝撃な流れでしたよね?

 

 

任期は終えましたが、まだ伝えたいことがあるので、これからももう少し書いていきます!ぜひぜひお付き合いください。

 

 

次回は、広報部門と野外での出張採血部門についてご紹介します。

 

 

 

ガボン国立輸血センター⑧ -製造部門part4-

ご無沙汰してしまいましたが、元気です。

日本の気温に慣れずに布団を被って過ごしていますが、夏日の日はるんるんで動いています。

 

JICAからの発表で、任期が残り3ヶ月ほどの私たちは任国に戻ることなく、日本で任期満了を迎えることが正式に決まりました。そしてまだ半年以上任期のある隊員は7月になったら再派遣するか・派遣終了にするかの発表をするそうです。早い段階で「全員解散」とした方が前に進みやすいよねと仲間たちと話していますが、未曾有の事態にJICAも対応に困っているのがよく分かります。

そして、全隊員の現地の住居解約と荷物の撤去作業が現地にいるスタッフによって始まりました。元々、数か月後には戻る雰囲気だったので家に荷物を多く残してきた人がほとんどです。これをリモートで「これは捨てて、これは残して、これは送って」とやるのはもう…大変な作業のようです。

ちなみに私は、狂ったようなに半泣きで大片付けをしたことにより、所長による私の部屋の撤去作業は15分で済んだようです。最短記録、狙えるでしょう。

 

 

では、もう輸血センターにはいませんが、

今回はガボンの凍結血漿製剤についてご紹介します。

 

 

まずは凍結血漿製剤とは...

血漿には、凝固因子という血を止めるのに必要な物質が沢山含まれています。

でもこれは時間の経過でフレッシュさを失ってしまうので、採血した後になるべく早く処理して冷凍させて新鮮な状態で保管します。冷凍食品的な感じです。

 

日本では通称FFPといわれる新鮮凍結血漿があります。

名前の通り、新鮮な状態で凍結させた血漿の製剤です。

凍った状態で保管され、使うときに解凍して輸血します。

量の違いによって120ml、240ml、480mlの3種類あり、量が多いほど値段も高くなります。

これももちろん、日本赤十字社が製造しています。

 

ではガボンはどうか。

まず名前は、PFC:Plasma Frais Congeléといいます。

 

そして見た目ですが、

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こんな感じです。凍っている写真は撮り逃しました....

 

元の採血量がバラバラなので、もちろん血漿の量もバラバラです。

日本と同じく、きちんと凍結して保存しています。

期限は1年間です。

 

作り方は、赤血球製剤のときに説明した方法で作ります。

maaaai0519.hatenablog.com

採血 → 遠心 → 分離 → 凍結です。

必ず当日採血の製剤のみで製造し、一晩冷蔵庫で置いたものからは作ることはありません。まさに新鮮な血漿です。

 

この製剤に対して私は何をしたかと言いますと、

まずは見た目の改善です。

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以前のものの写真ですが、赤血球が混ざって赤いものが多くありました。

まずはこんなに混ざっていたら、免疫反応を起こすかもしれないから使うのは良くないことを周知しました。以前勤めていた弘前大学病院の大先輩の研究が私の説得に役に立ちました。

 

そして次は作り方の改善

全血のバッグの上に残りがちな血球を、遠心前に叩いてはがすことで大幅に改善されました。

そして感動したのがブレーキの設定。

血小板製造の行程を理解した技師さん(前回話したセネガル料理を用意してくれていた私のママ的存在)が、「境目を綺麗にするにはブレーキを弱めよう」と提案してくれたのです。大感動。血小板が生んだ、私たちの大成長です。

 

これらの改善により製造部門にふらっと来た他部門の人が、「Très beau(美しい)」と見入るほどに変わりました。

 

そしてもう一つ変えたのが保存の仕方。

以前は

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...雑。

 

これでは扱いにくくてぶつけて割れる可能性があります。

日本では箱に入れて割れやすい製剤を守って、形も綺麗にして凍結させていますが、ガボンではさすがにそれは無理なので綺麗に並べるようにさせました。

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こうやって、凍結血漿製剤を改良しました。

 

 

ここからは少々の心残りを。

この部門では在庫の量に合わせて製造するという発想が無く、O型だけが大量になったり、保管する場所も無いくらいに大量になったりということがよくありました。

これを何とか上手く調整する方法がないか考え、まずは在庫管理の担当者へ「何型が足りなくて、何型は製造しなくてもいいか」という情報を週に数回聞いて製造していました。血小板もこういう方法で血液型を選んで作っていました。

これをもっと簡単に、誰でも出来る方法で、目で見て分かる形で需要と供給のバランスを管理できないかと考えを練っていました。ホワイトボードとマグネットで…など考えているうちに帰国になってしまったので叶わずじまいです。これが心残りです。

 

 

さて次は、私がガボンで初めて製造した人間になった「クリオプレシピテート」についてです。

ちなみにこれは、私がガボンで初めてやった活動で、初期(2018年12月)の出来事です。

 

 

この製剤(通称クリオ)は、日本ではある程度の設備のある病院が凍結血漿製剤から調整する製剤です。

簡単に説明すると、血を止めるのに必要な凝固因子を濃縮させた製剤です。手術や出産で大量出血が起きた際に、これを沢山輸血することで一気に血を止める物質の濃度を高めて血を止めるのです。

赤十字社が製造しないものなので、各病院の輸血部が数年前からこぞって調整し始めた製剤です。もちろん私が以前勤めていた弘前大学病院でも調整していて、私も作っていました。

 

今思うと、このクリオの調製経験があったからこそ、ガボンでの全製剤の調製方法の改良が出来たのだと思います。物の扱い方、考え方、安全性、全てにおいて弘前での経験が役に立ちました。クリオを作らないと決めた赤十字社、作った弘大両者に感謝しかありません。(日赤さん、嫌味じゃないです!!)

 

さてこのクリオですが、輸血センターに来て4ヶ月ほどのときに話をしていたら「クリオって知ってる?コートジボワールにはあるらしいけど、ガボンには無いんだよね~。あれがあれば妊婦につかえるのにね」と技師さんが言い始めたのです。

びっくり仰天!ガボンでもクリオは知られているのか!!!!

「私、クリオ作れるよ!」といったら向こうもびっくり仰天!!!

ここから私は、ガボンでも調整できるかを挑戦し始めました。

 

しかし、大きな問題がありました。

日本で絶対使っていた無菌接合装置(輸血用のバッグのチューブとチューブをくっつけて開通させる超凄い機械)が無いのです。

これが無かったら安全に血漿を別のバッグに移せません。

 

やっぱり無理かな~と考えていた時、ある技師さんが、

「メイ!クリオ作るならトリプル(3つ繋がっている)のバッグでいいよね?」と聞いてきたのです。

そのときようやく気付きました。「ここは日本じゃない、クリオの元になる血漿を製造するのは赤十字社じゃなく私たちだ!」と。

このときから頭は日本からガボンにシフトした気がします。

採血されたときからバッグが繋がっているのだから機械を使わなくてもそれを活かせばいいと、恥ずかしながらその時ようやく気付きました。

 

ここから作業は一気に進みました。工程表を作り、製造部門長のエブラと作業を始めました。

1日目は通常通りに始めに説明した凍結血漿製剤を作製(空になったバックを付けたまま)

2日目は低温解凍

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(よ〜く見ると、なんかもや〜とした白いものみえますよね。これが凝固因子たちの塊)

3日目はまた凍結させる

4日目はまた低温解凍

5日目に遠心して調製、凍結させて完成

 

こうして、ガボンで初めてクリオプレシピテートが誕生しました。

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(下の方の白いものが凝固因子たち)

 

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(凍らせるとこうなる)

 

見たことも聞いたことも無い製造方法に不思議な顔を終始見せながら様子を見ていたエブラですが、いざ完成すると嬉しそうに眺めていました。

他の技師さんや医師たちも「メイがクリオを作った!!」とテンション高めに喜んでくれました。

その嬉しそうな姿をみて私も嬉しくなったことをよく覚えています。

 

そして、この出来事が両者にとって大きい意味をもち、ガボン人は私を信頼し、私はこの国で活動することの意味を知った気がします。

いいスタートを切れました。

 

 

しかしこのクリオ、喜びだけでなく国際協力の難しさを教えてくれました。

 

 

これで大量出血から妊婦の命を守れる!と希望を持ったものの、残念ながらまだ使用には至っていないのです。

使い方を知っている医療者がいないのです。

「クリオプレシピテート」という名前は知っていても、適切な使い方は知らないし誰も教えてくれる人がいないのです。

 

じゃああなたが教えればいいじゃんと思うかもしれませんが、明確に説明し質問に答えるほどのフランス語力はありませんし、なにより責任が持てません。

輸血センターの技師や医師には、説明をしましたが、これを実際の医療現場で使うにはハードルはまだまだ高いようです。保健省へも働きかけをしましたが、動きはありませんでした。誰か知識と権力を持った医師や看護師が加わらない限り、このクリオが日の出を見る日はなさそうです。

 

 

どんなにいいものを用意しても、それを扱える人間がいなければただのものになってしまう。

 

 

痛感しました… 難しい、国際協力。

 

 

以上、なんだか暗くなってしまいましたがこれが私がガボンで作ってきた凍結血漿製剤2つです。

 

 

次回は、こうやって作られた製剤がどうやって患者の元へと届くかをご説明します。

地味に衝撃的ですよ。

 

 

最後の2日間

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ガボンの空港での1枚📸

 

急遽決まった帰国により、それまで3ヶ月半あった残りの活動期間が一気に数日へと変わりました。帰国日が決定したのは出発の数時間前だったので、最後に活動出来たのはたったの2日間。しかも1日目はJICAで集まりがあったので午前中のみ、2日目はフライトが告げられた午後2時すぎまで。

 

 

この慌ただしすぎた2日間をどうやって過ごしたか、書いていきます。

 

 

自宅待機指示が解除された翌日、輸血センターへ大量の荷物と覚悟を持っていきました。

荷物は今後使用しようと思っていた活動の道具。覚悟は帰国とお別れを伝える覚悟。

 

センターへ向かう途中、当たり前だった通勤風景もこれが最後かと思うと感慨深く、到着までに交わす店の人たちとの挨拶も特別なものに感じました。

 

到着してからはもう1分も無駄には出来ません。早々に、帰国の報告をして回りました。カウンターパート、いつも活動していた製造部門の人々、検査技師たち、看護師たち、医師たち、仲良くしてくれた職員さんたち。

JICAからは「コロナの影響で帰国するとは言わないように」と指示されていましたが、このご時世でそれは無理です。なにより日本人への信頼を失いかねないと思い、正直に話していきました。

一人一人に急だけど日本へ帰ること、いつ帰国か分からないけど残りの時間は僅かな事、そしておそらくガボンには私は戻ってこられないことを説明していきました。説明しながら涙を流す私を抱きしめ、大丈夫だよと声を掛け、最後まで聞いてくれるみんなの優しさにさらに涙が止まりませんでした。

 

なかでも一番辛かったのは、製造部門の人々。もはや彼らは私にとっては家族です。

そんな人たちとの突然すぎる別れはお互いにとってつらく、言葉を失って下を向く人、一緒に涙を流す人、驚いて何も言えなくなる人、感謝の思いを伝えてくれる人、様々でした。

「マイとここで一緒にいるのが普通だったのに、本当にいなくなっちゃうの?」

「Ma fille(私の娘)はここに残るべきよ」

「マイはここに沢山のことを教えて残してくれた」

大好きな人たちからの言葉は時間がたっても鮮明に覚えています。

 

でも悲しんでばかりはいられません。今日は活動を進めに来たのです。

 

まずは採血中に具合が悪くなった人の脚を上げるようのクッションの改良。

迷走神経反射を起こした献血者は、これまでただほっとかれるだけだったのですが、脚を上げれば回復が早くなるのでそれ用のクッションを買って使うように指導してきました。最初の頃は厚みのあったクッションですが、ガボン人の立派な脚に踏みつぶされ薄くなっていたので、他の隊員が捨てる予定だった毛布を貰い、厚くする材料にしようと思っていました。

ということで、さっそく床に毛布を広げて半分に切り、クッションの中に頑張って詰めていきました。マイが何か不思議なことをしているとみんな覗いていくので、しっかり説明し、納得させていきました。

ガボン人は「無いものは買えばいい、買えないのならあきらめればいい」という人たちです。自分たちで改良して作るという発想はあまりないので、私の姿をみて「物を組み合わせればできるんだ」ということを感じ取ってもらえるように思いを込めてクッションを完成させました。

 

Before 

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あまり薄さを感じませんが脚を乗せるとぺしゃんこです。

After

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厚くなりました

 

採血の看護師さんに渡すときに「C’est Mai(これは私よ)」と言って渡したら、みんなこれを撫でて大事にしまってくれました(笑)使ってね。

 

 

次は血液型判定の技術伝授です。

 

 

血液型が上手く判定できない検体があると、最近は技師さんが「分からないから教えて」と私を呼んでくれるようになっていました。

この状態を残り3ヶ月続けていけばいい感じに知識も技術も伝授できるぞと思っていたのですが、そんな時間は無くなったので諦めるしかないかと考えていたところ、なんとタイミングよく「判定不可」の検体が登場!

ということでこの絶好の機会を有効活用するために、この検体をみんなで考察して、検査して、最終判定することにしました。

 

検査技師さん用にどんな検体だったか記しておきます👇

・スライド法ではコントロール含めてすべてで凝集

・直接クームスは陽性(ゲルカラム法)

・3回洗浄後にゲルカラムで検査するとやや凝集が弱くなる。

 

この状態から考えられることを技師さんと共に考え、次に何をすべきかを上げさせました。

これがまあ大変!もっと前からここに加わりやっておくべきだったと猛反省。

そして行ったのが、

・まず加温

・温水で洗浄

・試験管法で血液型判定(ガボンには試験管法での血液型判定技術は無いので正真正銘一からの伝授です)

 

これが私とやる最後の検査と分かっているのでみんな超真剣です。それに応えようと私も超必死。一生忘れられない、技師と技師の本気の時間になりました。

 

上手くいくか内心ドキドキでしたが、何とか無事に血液型判定が完了。上手くいったことで、技師さんたちもこの方法は有効だと理解してくれたようで安心。

 

今の段階では技術も知識の移転も中途半端な状態で、彼らだけで今後できるかは不安な状態です。

でも百聞は一見に如かずで、これまでに何度か私が教えて見せたものを、彼らが記憶にとどめていてくれれば今後きっと進展はあると信じています。

 

こうして、タイミングよく現れた検体によってラボの技師さんとも有意義な時間を過ごすことができました。検体に感謝!

 

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ラボのみんなと📷

 

 

そしてここからが大事な仕事、引き継ぎです。

 

 

ガボンでは急に人事異動が起こり、上手く情報も何も引き継がれずにいなくなります。

私はそれが大嫌いで、この責任感の無さに呆れる日々でした。

 

私はそれをしたくないし、責任ある仕事を見せたかったので帰国が決まったときから関係部署へのデータの引き渡しと残りの仕事の引き継ぎおよび今後の協力依頼を準備しました。

夜な夜な作業し、特にお世話になった技師には引継ぎ内容とともにお礼の文章も書き、USBごと託すことにしました。この時間がもう、涙涙。深夜2時に泣きながら作業を続けたあの時間は、輸血センターへの思いを強くさせた良い時間でした。激疲れでしたけどね(笑)

 

USBを受けとった技師は私の覚悟と思いを悟ったかのようにしっかりと話を聞き、大事にUSBをしまっていました。引き継ぐことの大事さを分かってくれていたら嬉しい限りです。

 

そして、残っていた仕事を今後どうするか、対象の職員たちと話を進めていきました。

協力隊の最後の半年は「見守り重視」でいく予定で動いて、実際に動く活動はほぼ終えていたのでマニュアルや輸血検査の教科書作りに時間を使っていました。幸運なことに、インターネット環境が発達しPCも使えるガボン人同僚とは、日本―ガボンでもこの活動を続けることができます。直接お尻を叩かないと働かないガボン人なので難しい点も多いですが、しつこく連絡を取って完成させようと思います。

 

 

こうやって時間を過ごしている間に「今夜出国します」という連絡が来ました。センターの入口にいた私は思わず「やばーーーーーい!」と叫んでしまうほどに仰天でした。

 

本当は一刻も早く荷造りをしに家に帰るべきでしたが、どうやら技師さんたちが送別会を開いてくれるようで帰れません(笑)

 

私の大好きなセネガル料理を作るために休みをとって準備してくれていたママ的存在の技師さんも急遽大急ぎでセンターに来てくれ、会が始まりました。(本当はその日の夜、ママの家でご飯の予定だったのです…、食べたかったyassa)

 

製造部門の長で一緒に血小板を作った仲間エブラが、私がこのセンターでやってきてことを一つ一つみんなに説明してくれ、こんなにもちゃんと見て理解してくれていたのかと知れて大感動、号泣。もちろん一番の功績は満場一致で「血小板」でした笑。センターにたくさんの変化をもたらしてくれた感謝、まだ一緒に居たかったこと、これからはネットで一緒に活動を進めていくこと、そしてこれは永遠の別れではなく「また会える別れ」ということ。私の帰国を一番悔しみ、最後に涙を流した彼の存在は間違いなく、最高の同僚だったと思えた瞬間でした。

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大好きなみんなと📷

 

 

こうして、慌ただしかったけれども濃厚で有意義な時間を終えました。

一緒に時間を過ごしてきた技師さんや医師、職員に囲まれて最後の時間を過ごせたことは本当に幸運で、恵まれたことだったと思います。

世界中の隊員で、離陸10時間前まで活動先にいた隊員は私だけだと思っています笑

 

 

急すぎる帰国、しかも理由は新型コロナウイルス

まだやりたいことも、教えたいことも伝えたこともあった。3ヶ月後のゴールが見えていただけにその悔しさは大きく、未だにやりようのない思いに苦しくなる時もあります。

 

でも帰国という判断は間違いではなかったし、閉鎖される空港や欠航していく便が次々と増えていく中で帰国オペレーションをしてくださったJICAの関係者の皆さんには感謝してもしきれません。

 

 

4月13日現在ガボンは、感染者が57人(1名死亡)、国境閉鎖、2週間の外出禁止令の最中です。輸血センターは医療機関の為、血液製剤の払い出しは継続して行っていますが混乱している様子です。

 

 

どうかどうか、早く落ち着いて世界が穏やかになってくれることを願っています。

 

 

現在私は東京にとどまり、JICAの今後の指示を待ちつつ就職活動をしています。もし輸血関連の仕事の空きがあるよ!という医療関係施設がありましたらぜひお知らせください。働きたいです。

 

今後は、書ける範囲で輸血センターのシリーズを続けて書いていきます。

 

では最後に、仲良かった職員さんとの写真で終わります。

 

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☝️パパ的存在ラミン、通称ラーラー。ムードメーカーで私の良き理解者でした。


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☝️おそらく今後どんどん出世するであろうセドリック。私が高熱出した時もすぐに検査結果を出してくれた優しい技師さん。

 


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☝️いじりがいのあるビクトリアと超真面目でよく語り合ったリン。


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☝️エブラの奥さんローレンヌ。とにかく優しかった。

 


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☝️センター1の美人さんで超お偉いさんのマダム・ナン。彼女に感謝の言葉を貰った時は廊下で大号泣でした。


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☝️医師のサンドリンと、施設長のオリビエ。よく意見がぶつかり合って泣かされたし腹立ってしょうがなかったけど、これもいい思い出です。

 

おまけ。

最後に輸血センターから貰ったもの
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ガボン協力隊の間で頭を悩ますプレゼントの一つ。石で出来たガボン地図の額縁。これが、重いのなんの!! スーツケース重量オーバー必須のお土産です。まさか私も貰うとは… 

 

では、次回は凍結血漿製剤について書きます。

 

 

未来はみんなでつくるもの

急遽決まった帰国により、輸血センターで過ごした最後の2日間について書くつもりでしたが、その前にどうしてもこれは載せたいと思ったので、まずはこちらの方を今回は載せます。

この記事は自宅待機指示が出る3日前に書いていたもので、仕上げてアップしようとしていたときに帰国が決まって忙しさで更新できていなかった文です。

時系列がおかしくなりますが、最後の2日間を書く上でやはりこの出来事は紹介しておきたいと思い、この数日後に起きた緊急帰国のことも頭に入れながらぜひ読んでいただきたいと思います。

 

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※ 2020年3月14日記載

 

 

ここ数週間、運動会や旅行で輸血センターを不在にしていました。

 

私はこの不在期間を現状評価期間として重要視しています。

私が一緒にやると出来ることや、私がいるから他の人がやらないことなど、私の存在が彼らのレベルアップを妨げていると感じることがあるからです。

 

だからこそ、たまに数日間から数週間、私が居ない期間をつくることは彼らの真のレベルと技術定着具合、独自の改善能力とやる気をはかる絶好の機会だと思っています。

 

そして今回、ウガンダの方へ旅行していましたがガボンへの入国が危ぶまれる事態が発生し想定外の滞在延長となり、輸血センターを12日間不在にすることになりました。

 

幸か不幸か、その間に輸血センター恒例の大幅な人事異動が行われ、私のメインの活動場所の製造部門も人事異動が行われました。

 

製剤を作れる技師が異動、部門長も変わる、

これは私の帰国後に起こりうる状況であり現状評価には絶好の機会を迎えました。

 

そして迎えた久々の活動

 

内心、期待はあまりしていませんでした。

 

では一つずつ見ていきます。

 

 

① 血小板製剤

 

前回話した血小板製剤。製造方法が複雑なので、技術定着が難しいものです。

しかも製剤を上手く作れる技師は移動済み。

 

ドキドキで製剤を見てみると、

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出来てるー!!!!!!!

 

ニコニコしながら製剤を見ていると、周りの技師さんが「良い感じでしょ?メイから沢山学んだからね」

と言ってくれました。

 

泣きそうになりました。

 

もう、彼らは私が居なくても大丈夫。

 

そう確信しました。

 

 

② 整理整頓

 

もともと5Sが出来ている施設ですが、さらにパワーアップしていました。

 

機械が投げられていた部屋が、

 

Before

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After

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テトリスの如く上手く積み上げられています(笑)

 

今後はこの部屋が感染性廃棄物の置き場にするそうです。

 

良い感じです。

 

 

③ 採血部門

 

ここにも変化が!

 

採血の椅子の横に置くテーブルの上にお盆が!

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採血管や絆創膏などが転がりがちがったので、このお盆に置けば問題解決です。

 

こういうの置けたらいいなって思っていたことを、彼ら自身が実行しました。

 

大感動。

 

 

④ 掲示

 

数か月前から私が始めた掲示

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献血後にカフェに行くように場所を示したもの)

 

献血者への案内用にあえてカフェテリアのみを作って貼っていました。

 

残りの部屋に対する案内は自分たちで作って貼ってという願いで他の物は私は作りませんでした。

 

そしてついに、

 

これでもかー!とばかりに掲示物は増えていました。

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これで迷子になる献血者は減るはずです。

 

 

もうひとつ、

 

採血の部屋には

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(一番下の貼り紙に注目!!!!)

 

正しい消毒方法を説明する張り紙が!

 

私の採血講習会の内容をアレンジして作ってくれたようです。

 

大感動

 

 

⑤ 手指衛生

以前からセンターが強化していた献血者とセンター訪問者の手洗い。

 

これが、新型コロナの影響でパワーアップしていました。

 

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自動でアルコール剤が出てくるやつ。

 

そして「手洗いしてね」を伝える張り紙

 

驚きです。

 

 

たった2週間足らずで、こんなにも変わるとは。

 

技術の定着もOK、そのレベルもOK、改善にむけた意識と実際の行動もOK

           

想像をはるかに超える結果になっていました。

 

 

私が居なくなっても、みんながいればこの輸血センターは改善が続く。

未来はみんなが作っていく。

そう感じ、確信した結果となりました。

 

 

そして個人的に嬉しいのは、

久しぶりに会ったセンターの人たちが、私を見た瞬間に「メーーーーイ」と笑顔で喜んでくれる瞬間です。

良い人たちと職場に恵まれました。

 

 

残りの4ヶ月、そんな彼らとラストスパートの活動をしていきます。

 

 

ちなみに私の忘れん坊カウンターパートは、見事に私がお願いした仕事とそもそも私がどこに旅行に行っていたのかも忘れていました。色んな意味で期待を裏切らない人です。

 

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あの時私はこれを書きながら、7月の任期満了の事を考えていました。

日本でこの記事を更新することなど1ミリも考えていませんでした。

 

でも、この不在の期間があって、彼らの能力を知れたから、最後の2日間はより有意義に効率よく活動が出来た気がします。

そして何より、彼らを信じながら輸血センターを去ることができました。

 

次回は、最後の2日間を載せます。

帰国のご報告

ご報告です。

 

 

新型コロナウイルスの影響で、世界中にいる青年海外協力隊全員を日本へ帰国させることが決まり、私も21日に日本に帰国しました。

 

www3.nhk.or.jp

 

JICAが隊員を帰国させるためにどれほど頑張り、隊員もこの急な展開になんとか対応した様子を備忘録としてこの数日を書いていきます。

 

 

3月17日に一気に状況が動きました。

早朝にJICAガボン支所から「自宅待機指示」が出されため家で次の指示を待っていました。すると、急遽帰国の可能性が浮上し他の国の隊員から何日の便で帰国になるといった情報が次々と入りはじめました。そしてついに私たちガボン隊も日程はまだ不明だけれども帰国は決定という知らせを受けました。同時に、任国や経由地の空港閉鎖で出国が不可能になったという情報も次々と入ってきました。

家ではいつでも出国できるように部屋の片付けとパッキングも始めました。

 

翌日の3月18日、

JICAガボン支所からの自宅待機が解除されたため輸血センターに行き、「コロナの影響で日本へ帰国することが決まった」という報告をしてまわりました。実はこれ、JICAから「コロナの影響」を言及しないようにという指示が出ましたが、そんなことを隠し通せるはずがありません。

そしてもう一つ伝えなければならなかったのは、「これが最後になるかもしれない」ということです。2018年1次隊の残りの任期はあと3ヶ月半のため、コロナの状況によってはこのまま任期終了も十分にありうるからです。この事実があまりにも辛く、悔しく、感情を抑えきれずに涙を流しながら各部門へ報告へ行きました。

帰国日が分からないため、やり残っている活動は時間の許す限りやってやろうと思い残り3ヶ月分の活動を出来るものから一気に片付けていきました。輸血センターでの最後の時間については次回お話します。

この日にJICA支所で協力隊員の集まりがあり、そこで現段階の状況が伝えられました。その時点では「飛行機が取れていないため今週出国することはない」でしたが、夜になって「今週の出国の可能性が無いわけではない」に変わりました。そして、日本に帰国後は隔離されるということも知らされました。

 

そして3月19日、一生忘れられない日になりました。

早朝、21日の深夜便が取れたため隊員14人全員が帰国するという連絡を受けました。まだ1日以上あるので輸血センターへ行き引き続き活動を急ピッチで進めていました。

すると、21日の便は経由地の空路閉鎖情報が入ったため飛行機はキャンセルとなり、20日深夜か21日昼の便で出国という連絡が入ります。私は20日の便に割り振られたため、残り10時間ほどで出国ということになりました。あまりに急すぎる展開で大慌てでさよならの挨拶をし、輸血センターを後にしました。

家に向かっている途中に、この20日深夜便はリスクが高いためキャンセルされ、20日朝の便に変更(ただし乗れるのは5人)という連絡が入りました。この5人の中に私が入っていったため、残り18時間ほど時間が出来たと思い少し余裕が生まれました。

すると数十分後に、この20日朝の便も欠航の可能性が出たため、20日深夜便で全員出国という連絡を受けました。この時点で出国まで9時間。家を片付ける時間は4時間。

ここから先はもう、記憶がないほどに大慌てで出国の準備をしました。戻って来る可能性は低いため、調味料や冷蔵庫の中身はすべて処分、家にある全ての物を片付け日本に持って帰るものと後輩隊員に残すものに振り分けてパッキングを始めました。このやばすぎる状況を見て、後輩隊員が助けに来てくれスーツケースも一つ貸してくれ、片付けも手伝ってくれて、なんとか夜8時に空港に到着。

急遽飛行機が飛ばない可能性もあるため、チェックインはひやひやでしたが無事チケットが発行され、感傷に浸る暇もなく大慌てでガボンを出国しました。

 

20日、経由先のイスタンブールに到着。この空港は近日中に閉鎖の情報があるため、ここから日本に飛べるかの確証はありませんでした。でも、無事にチケットは発行されトランジット17時間中に変更がないことを祈るのみとなりました。そしてこのトランジット中にガボンで4人目の新型コロナ発症患者が死亡と発表され、それに伴い空港の閉鎖が発表されました。この飛行機に乗っていなかったら、ガボンに取り残されていたことになります。

 

21日、飛行機は無事に飛び、座席はほぼ青年海外協力隊をはじめとする日本人で占められ、21日夜に無事に成田に到着となりました。

 

 

状況が一変してから3日でガボンを出国、5日目には日本にいるというまるで映画かなと思うほどに急な展開での帰国となりました。

 

 

読んでいて分かるとおり、世界中で刻々と状況が変わるなかで、その情報を集め信頼性を判断し、帰国できるように最後まで判断を悩みながらもチャンスにかけて飛行機に乗せてもらいました。これはすべて、JICA本部と所長をはじめとするガボン支所のスタッフの皆さんのおかげです。特に、最後にどの飛行機にするかの判断を下し、それが英断だった所長には感謝してもしきれません。

 

 

現在ガボンは、外出禁止措置やタクシーの乗車人数制限、船や電車の移動禁止など厳しい制限が出ています。もしガボンに残っていたら自宅待機、情勢混乱で食糧確保すら危なかったかもしれません。そしてこの状況が、ほかの国では起きています。任国に取り残された隊員が数多くいます。今はただ、それぞれのいる場所でなにも病気もせず安全にいられること願うのみです。

 

 

現在は14日間の隔離指示のもと、成田空港近くのホテルに滞在しています。あまりにも慌ただしい数日、お別れだったため、日本にいる実感はしません。

今後は4月末にJICAが再赴任の判断をし、その判断次第で再びガボンに戻れるか、まだ日本に残るかが決まります。どうなるのかは全く分かりません。でも、戻れないという覚悟はしています。

 

 

なかなか読みにくい分かりにくい文章だったかもしれません。それくらいに、状況が変化し、JICAも隊員も混乱していたと理解して頂けたら幸いです。

 

 

次回は、輸血センターでの最後の2日間についてお話します。涙を流しながら書きます。

ガボン国立輸血センター⑦-製造部門part3-

ご無沙汰してしまいました。

ランバレネで運動会をしてきました!後日書きますね~

 

 

今回は血小板製剤についてお話します。

これに関しては、私の中心的な活動なので活動の内容と共に説明していきます。

話せば長く熱くなるので頑張って簡潔にまとめます!

 

 

血小板製剤とは、名前の通り血小板がたくさん入っている製剤です。

血小板は出血した時に傷口をふさいで止血してくれる大事な細胞で、手術や外傷、血液の病気で血小板が少なくなっているときに輸血するものです。

 

 

まず日本や先進国ではこの製剤をどうやって作っているかというと、血小板製剤は成分採血で製造しています。

献血したことがある方はイメージしやすいと思いますが、成分採血とは一度取り出した血液をドナーのすぐそばで機械で処理し、欲しい成分(つまり血小板)を血液バッグへ入れ、それ以外の成分(赤血球など)は体へ戻すという方法です。医療技術って凄い。

この方法により、効率的にたくさんの血小板をバッグに入れることができるので、濃度の濃い良い製剤が出来上がります。

日本では容量によって細かく単位が分けられていて、単位が大きくなるほど容量も多くなり、入っている血小板も多くなり、値段も高くなります。1袋で家賃を払えるくらい、高いです。

 

 

でもガボンにはそんなに素晴らしい技術はありません。正確には、機械を買えない、買ったところで使いこなせない、消耗品を継続的に買えない、メンテナンスできない、壊れたら終了、つまり使い捨てなので、継続的に使うことはほぼ不可能なのです。以前使ったことがあるそうですが、もはや機械は化石になっています。

 

 

ではどうやって作っているかというと、ガボンの血小板製剤は全血から調製されます。

採血した血液全体から血小板を集めて「血小板製剤」を作るのです。日本も昔、30年くらい前?はこの方法でした。

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(この採血した血液(全血)から、血小板を集めていきます)

 

 

この全血から血小板をいかに安全に、うまく、多く集めるかというのが私の主な活動でした。

 

 

結論から行きましょう。

今の血小板製剤は、こんな感じです。

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この中に血小板がいるのです。(原物はきちんとスワーリングが確認できます)

 

 

ここに至るまで、それはそれは多くの努力を積み重ねてきました。

経過をたどっていきます。

 

 

始まりは2019年の2月。

以前の血小板製剤はどこからどうみても、血小板が入っているとは言えない製剤でした。

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(以前の血小板の保管の様子)

 

 

なぜなら、

・血小板は低温に弱いのに、4℃で遠心

・しかもその遠心はかなり強い&時間が長いのでほぼすべての血小板が赤血球の層に沈んでしまう

・遠心後は何となく血小板がありそうなところを取り出す

・もちろん血小板の存在を確認できるスワーリング(光にかざすとふわ~っと渦巻き状に血小板が見える現象)は皆無

 

 

いったい誰がどうやって始めたのか、そもそも何を考えてこの方法で作っているのか謎の状態でした。

 

 

そこで血小板製剤の調整方法の大幅改良を始めたのです。

 

 

しかし私は病院に勤めていた技師。血小板製剤は赤十字社から買う立場で、毎日見ていたけど、作ったことはありません。

ということで、どうやって製造するのかという情報収集から始まりました。

青森県赤十字社のMRさんに連絡したり、論文検索したり、ひたすら考えたり、日本のベテラン技師さんたちに聞いたり、出来る限り多くの情報を集めながら改良を続けていきました。

 

 

以前、その経緯を書いていました。

maaaai0519.hatenablog.com

maaaai0519.hatenablog.com

maaaai0519.hatenablog.com

 

要約すると、

 

試行錯誤を繰り返し、日本語英語フランス語あらゆる言語で調べ、夢の中でも血小板を作っているくらいに没頭し、確実に以前よりもいい製剤に近づいていったのですが、

どうしても解決できない問題がありました。

それは、

1.遠心しても1回目の遠心で綺麗に分離しない(赤血球が混じる)ので、赤い色の製剤になってしまう

2.血小板の塊が発生する(血小板にストレス与えすぎてしまっている)

でした。

 

 

困った私は決断しました。

「日本へ帰って、その道のプロに聞いてみよう」

 

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2019年5月、日本に一時帰国し、輸血学会でガボンでの活動の中間報告をし、会場にいる血小板関係のプロの皆さんを見つけて話を聞いていきました。

本当に本当に多くの技師さん、先生方、企業の皆さん、赤十字の職員の皆さんにアドバイスと応援のお言葉を頂くことができました。日本の輸血とそれに関わる全ての人の素晴らしさを心底実感した日々でした。

 

 

ガボンに戻ってから、日本で得た情報をもとに改良を続けていくと、

あることが重要な決め手になることが判明しました。

 

 

それは、「ブレーキ

 

 

ん?ブレーキ?車?え?という感じですよね。

 

 

実は遠心機にはブレーキが存在します。

回転を止めるのに、どれくらいの力をかけて止めていくかというのが遠心機のブレーキの役割です。

 

 

今まではこれを最大の値で設定していました。

しかし、ある教授と東北ブロック血液センターさんの助言でブレーキゼロ(つまり自然に止まるのを待つ)条件でやってみると、なんとまあ!驚くほど美しく赤血球と血漿が分かれたのです。感動でした。

そしてブレーキを無くしたことにより血小板へのストレスも軽減されて、製造後に頻発していた塊もほとんど形成されなくなったのです。

 

 

ここから一気に改良は進みました。

 

 

1回目と2回目の遠心の条件、活性化した血小板を休ませる時間、細かい手技、これらを微調整し遂に自信をもって送り出せる製剤が6月に完成しました。

全血からどのくらい上手く集められているのかを知るために、測定して計算してみたところ、回収率は約20%でした。一袋におおよそ、2.3×1010個の血小板が入っている感じです。ちなみに改良前の回収率は、1%以下でした(笑)。血小板がほぼ入っていない製剤を「血小板だよ」と売っていたと思うと詐欺ですね。

 

 

嬉しいのは、血小板を使った医者から「輸血後に患者の血小板数の上りが良くなった」という言葉を貰うことです。

 

 

もう一つ。

今までハサミでチューブを切って、不要な血液を水道に流して製剤を作ることがここの技師たちにとって当たり前だったのですが、粘り強くその危険性(製剤が汚染されること、作業する技師も危険なこと)を伝えた結果、この方法は良くないことだという認識が生まれました。そして、一度もハサミを使わずに血小板製剤を作ることを当たり前にするようになったのです。これも大きな進歩です。

 

 

ここまで一緒に作業し続けたチーム血小板、協力してくださった日本の皆さんには感謝してもしきれません。

日本とガボンのみんなで作り上げた血小板製剤だと思っています。

 

 

今は、どの技師も上手く作れるように細かく技術指導をしたり、なぜこうしないといけないのかなどを説明したり、地道に地道にこの新しい製造方法が定着するために活動しています。

 

 

また、ガボン人は出来ないことも「出来る、簡単だ」と平気で言うので、本当に血小板を作れるのか信用できないので、定期的に私が不在の日をつくり、彼らのみで作業をさせて翌日実物をみて彼らの技術評価をしています。協力隊の皆さん、この方法はかなりオススメです。

 

 

しかし、以前も述べましたが人事異動や解雇が多いので、他の技師に教えられるくらい上手になった技師が違う部門へ行ってしまい、新しい技師が来てはまた行っての繰り返しで技術の定着はかなり難しいです。私が帰国しても、製造できる技師が異動しても、変わらず作れるように製造マニュアルを作りましたが、マニュアルを読まないガボン人が今のように製造できるかは正直期待できません。国際協力の限界を感じますが、多少今よりは質が落ちても以前の血小板のようになることはないと思うので、良しとしています。

 

 

最後にどうやって血小板を作っているのか大まかに説明して終わります。

これが私たちの努力の結晶だと思いながらご覧くださいませ

 

1.採血されたての血液バッグ(全血)を1時間立てて静置

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2.軽遠心(条件は22℃、2000rpm、8min、ブレーキゼロ)

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3.分離

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血小板が豊富な血漿の出来上がりです

 

4.重遠心(22℃、3000rpm、5min、中等度ブレーキ)

 

5.分離(一袋70mlくらい)

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6.1時間以上の静置

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7.振盪保存

 

 

こうやってみると簡単に見えますが、この工程の中に細かいテクニックを組み込むことで綺麗な製剤を作ることができます。

 

 

がんばりました。

 

 

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(一番上手く血小板を作れる技師さんが他の技師さんに教えている様子)

 

 

ということで、血小板製剤でした!

 

 

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