我らのガボン日記 ー臨床検査技師編ー

青年海外協力隊としてガボンで輸血医療向上を目指す臨床検査技師の日記

帰国のご報告

ご報告です。

 

 

新型コロナウイルスの影響で、世界中にいる青年海外協力隊全員を日本へ帰国させることが決まり、私も21日に日本に帰国しました。

 

www3.nhk.or.jp

 

JICAが隊員を帰国させるためにどれほど頑張り、隊員もこの急な展開になんとか対応した様子を備忘録としてこの数日を書いていきます。

 

 

3月17日に一気に状況が動きました。

早朝にJICAガボン支所から「自宅待機指示」が出されため家で次の指示を待っていました。すると、急遽帰国の可能性が浮上し他の国の隊員から何日の便で帰国になるといった情報が次々と入りはじめました。そしてついに私たちガボン隊も日程はまだ不明だけれども帰国は決定という知らせを受けました。同時に、任国や経由地の空港閉鎖で出国が不可能になったという情報も次々と入ってきました。

家ではいつでも出国できるように部屋の片付けとパッキングも始めました。

 

翌日の3月18日、

JICAガボン支所からの自宅待機が解除されたため輸血センターに行き、「コロナの影響で日本へ帰国することが決まった」という報告をしてまわりました。実はこれ、JICAから「コロナの影響」を言及しないようにという指示が出ましたが、そんなことを隠し通せるはずがありません。

そしてもう一つ伝えなければならなかったのは、「これが最後になるかもしれない」ということです。2018年1次隊の残りの任期はあと3ヶ月半のため、コロナの状況によってはこのまま任期終了も十分にありうるからです。この事実があまりにも辛く、悔しく、感情を抑えきれずに涙を流しながら各部門へ報告へ行きました。

帰国日が分からないため、やり残っている活動は時間の許す限りやってやろうと思い残り3ヶ月分の活動を出来るものから一気に片付けていきました。輸血センターでの最後の時間については次回お話します。

この日にJICA支所で協力隊員の集まりがあり、そこで現段階の状況が伝えられました。その時点では「飛行機が取れていないため今週出国することはない」でしたが、夜になって「今週の出国の可能性が無いわけではない」に変わりました。そして、日本に帰国後は隔離されるということも知らされました。

 

そして3月19日、一生忘れられない日になりました。

早朝、21日の深夜便が取れたため隊員14人全員が帰国するという連絡を受けました。まだ1日以上あるので輸血センターへ行き引き続き活動を急ピッチで進めていました。

すると、21日の便は経由地の空路閉鎖情報が入ったため飛行機はキャンセルとなり、20日深夜か21日昼の便で出国という連絡が入ります。私は20日の便に割り振られたため、残り10時間ほどで出国ということになりました。あまりに急すぎる展開で大慌てでさよならの挨拶をし、輸血センターを後にしました。

家に向かっている途中に、この20日深夜便はリスクが高いためキャンセルされ、20日朝の便に変更(ただし乗れるのは5人)という連絡が入りました。この5人の中に私が入っていったため、残り18時間ほど時間が出来たと思い少し余裕が生まれました。

すると数十分後に、この20日朝の便も欠航の可能性が出たため、20日深夜便で全員出国という連絡を受けました。この時点で出国まで9時間。家を片付ける時間は4時間。

ここから先はもう、記憶がないほどに大慌てで出国の準備をしました。戻って来る可能性は低いため、調味料や冷蔵庫の中身はすべて処分、家にある全ての物を片付け日本に持って帰るものと後輩隊員に残すものに振り分けてパッキングを始めました。このやばすぎる状況を見て、後輩隊員が助けに来てくれスーツケースも一つ貸してくれ、片付けも手伝ってくれて、なんとか夜8時に空港に到着。

急遽飛行機が飛ばない可能性もあるため、チェックインはひやひやでしたが無事チケットが発行され、感傷に浸る暇もなく大慌てでガボンを出国しました。

 

20日、経由先のイスタンブールに到着。この空港は近日中に閉鎖の情報があるため、ここから日本に飛べるかの確証はありませんでした。でも、無事にチケットは発行されトランジット17時間中に変更がないことを祈るのみとなりました。そしてこのトランジット中にガボンで4人目の新型コロナ発症患者が死亡と発表され、それに伴い空港の閉鎖が発表されました。この飛行機に乗っていなかったら、ガボンに取り残されていたことになります。

 

21日、飛行機は無事に飛び、座席はほぼ青年海外協力隊をはじめとする日本人で占められ、21日夜に無事に成田に到着となりました。

 

 

状況が一変してから3日でガボンを出国、5日目には日本にいるというまるで映画かなと思うほどに急な展開での帰国となりました。

 

 

読んでいて分かるとおり、世界中で刻々と状況が変わるなかで、その情報を集め信頼性を判断し、帰国できるように最後まで判断を悩みながらもチャンスにかけて飛行機に乗せてもらいました。これはすべて、JICA本部と所長をはじめとするガボン支所のスタッフの皆さんのおかげです。特に、最後にどの飛行機にするかの判断を下し、それが英断だった所長には感謝してもしきれません。

 

 

現在ガボンは、外出禁止措置やタクシーの乗車人数制限、船や電車の移動禁止など厳しい制限が出ています。もしガボンに残っていたら自宅待機、情勢混乱で食糧確保すら危なかったかもしれません。そしてこの状況が、ほかの国では起きています。任国に取り残された隊員が数多くいます。今はただ、それぞれのいる場所でなにも病気もせず安全にいられること願うのみです。

 

 

現在は14日間の隔離指示のもと、成田空港近くのホテルに滞在しています。あまりにも慌ただしい数日、お別れだったため、日本にいる実感はしません。

今後は4月末にJICAが再赴任の判断をし、その判断次第で再びガボンに戻れるか、まだ日本に残るかが決まります。どうなるのかは全く分かりません。でも、戻れないという覚悟はしています。

 

 

なかなか読みにくい分かりにくい文章だったかもしれません。それくらいに、状況が変化し、JICAも隊員も混乱していたと理解して頂けたら幸いです。

 

 

次回は、輸血センターでの最後の2日間についてお話します。涙を流しながら書きます。