ガボン国立輸血センター①-献血 part1 -
今回からシリーズでガボン国立輸血センターの詳細をお話します。
ガボンの献血と輸血の詳しい仕組みを日本人で初めて(多分世界でも初?)公開していきます。
これを見て、このセンターでの活動に興味を持ち、私の次の2代目のJICAボランティア隊員になってここで活動してくれる人がいますように!
《ガボン国立輸血センター(Centre Natinal de Transfusion Sanguine)》
通称CNTS(セー エヌ テー エス)と呼ばれる、国内唯一の献血および輸血医療を担う国立機関です。
職員数は97名。他にも学生さんが実習に来ているので、軽く100人は超えています。人数が多すぎて名前が未だに分からない、というか会ったことも無い人もいます(笑)
職員の内訳は医師4人、看護師10人くらい、検査技師20人くらい、そのほかは受付、清掃、経理、人事、データ入力、健康保険の人などなどです。
男女比は半分半分という感じで、各部門の責任者には女性も多く、特に専門職に関しては年齢や性別関係なく、実力重視の人事になっています。
全体に職員は若めなのですが、特に検査技師は学生も含めると20代~30代の人が多く、年齢が近いこともあって雰囲気も良く私も仲間に入れてもらってわいわい賑やかにやっております。
年間の予算は2019年は7億 FCFA(日本円で1億4千万円)ですが、年によって変動があるようです。
ここからは献血部門について説明していきます。
まず「献血」制度についてですが、ここに献血をしに来るドナーは2種類います。
② 家族や友人が輸血を受けたので「輸血製剤1バッグにつき2人を連れてくる」という制度で連れて来られて血をあげる半強制的な献血
に分けられます。アフリカの国々のでは①が多くなってきているそうですが、ガボンはこの②の献血が7割を占めており、まだまだ献血文化が根付いていないことが分かります。
では、輸血センターの内部に入っていきます。
これがガボン国立輸血センターの外観
(献血する人たちの方の建物)
(輸血製剤を取りに来た人用の建物)
結構立派な建物ですよね。
センターの入り口のドアを開けると...
①受付
こんな感じです。綺麗。
前回お話した通り、外見重視の国民性が存分に発揮されています。
ここで、身分証明書を提出し受付の人が生年月日や住んでいる地域、電話番号などの個人情報を献血&輸血管理システム(フランスのシステム)に入力します。
受付が完了すると、問診票を渡しドナーに記入してもらいます。
ちなみに献血できる年齢は18~55歳です。
②問診票記入
その問診票がこちら。
ざっと質問内容を上げていくと、
・過去に輸血を受けたことがあるか?
・最近体調を崩していないか?
・過去にどんな病気にかかったか?
・過去6ヶ月以内に新たなパートナーと性的接触があったか?
・今まで献血をしたとき、具合は悪くなっていないか?
などなどです。
日本で献血するときは、海外から帰国して4週間以内の場合や、ある地域の国への滞在歴がある場合は一定期間献血が出来ない期間などがありますが、このセンターではその類の質問は一切ありません。
ちなみに私はアフリカに1年以上長期滞在しているので帰国しても3年間は献血できません。残念。
マラリアにかかったことがある人も日本では献血できませんが、この国では出来ます。というか、もし「マラリア既往の人NG」にすると、誰も献血できません(笑)。
※日本赤十字社の皆さん、もし何か間違いがありましたらご指摘ください。
これらの質問をこの部屋で記入していきます。
ひとつ感心したのが、ドナーの来た順番を守るために番号を用いることです。
この番号に従って次のブースへと誘導しているので順番をめぐってドナーから文句が出ることはありません。すばらしい。
③ 体重血圧測定&ヘモグロビン検査
体重、血圧を測り、献血できるかどうかの判断をするヘモグロビンの値を簡易検査キットで検査します。
(血圧計、消毒用アルコール、廃棄ボックス、Hb測定機器などなど )
日本では献血をする前に針を刺して採血して検査しますが、ここでは指にプチっと小さい針を刺して少量の血液で検査します。
ドナーへの負担が少ないのでいいですよね。
きちんと手袋もし、血液の付いたキットは感染性の廃棄ボックスに入れています。
すばらしい。
ここにいて分かったのですが、高血圧の人と貧血の人が結構多いです。とくに高血圧は若い人でもかなりいます。
ちなみに、日本ではこういう検査をするのは医療者ですが、ここで検査をしているのは看護師のときもあれば受付の姉ちゃんのときもあり、誰でもいいそうです。あはは。
④問診
次は医師の問診です。
質問は、
・身分証明書と本人が一致しているかの確認
・これまで献血したことがあるか
・最近体調崩してないか、薬飲んでいないか
など簡単に聞いた後、一番大事な質問をします。
「性的パートナーは何人いるか?」
ほーーーーー!いるかいないかではなく、何人という質問の仕方!
ドナーは「え?なんて?」と聞き返し、堂々と答える人もいれば、なんでこんな質問をするんだと不機嫌になる人もいます。
ちなみに何人の答えは「1人」という人が半分、「2人」という人が4割くらい、「3人以上」という人が1割くらいです。
男の人は「2人」と答える人が多いですね~。
たまに女の人でも「2人」と答える人はいます。
「いない」と答える人は今のところ見たことがありません。
みなさん活発ですね。
何人を聞いた後はそのパートナーとはいつから関係をもっているかの質問をして、3か月以内のパートナーであれば献血を断っています。
日本でも献血をすると質問項目にはこのようなものがあります。
「6ヶ月以内に不特定の異性または新たな異性との性的接触があるか?」
なんでこんなことを聞かれるのか、不快に思う人も多いと思いますが超大事な質問なのです。超大事なので、「責任ある献血」を推進するために軽く説明します。
世の中には多くの感染症がありますが、その中には血液や体液によって感染するものがあります。HIVやB型肝炎、C型肝炎もその仲間です。献血していただいた血液は安全なものかどうかを確かめるためにこれらの感染症の検査をもちろんします。が、残念ながら検査には限界があります。
感染したての初期の頃では、その感染症のウイルスは体の中に少ししかいません。この少量のウイルスでは、悔しいことに検査でウイルスの存在をつかみ取ることができないのです。例えば1kgの米があったとして、虫に食われた黒い米が1粒だけなら見逃すけど、黒い米が1000粒だったら見つけて「この米良くないな」と分かりますよね。それと一緒です(例えが下手かもしれない笑)。つまり感染初期では、感染してウイルスがいるのに、検査の結果が陰性になってしまうのです。この血液が患者さんの体に輸血されてしまうとどうなるか。残念ながら、感染してしまう可能性が大いにあるのです。
なぜ性的接触のことを聞かれるのかというと、性行為でこれらの感染症に感染する可能性があるからです。新しいパートナーと性行為し、もしその人が感染症陽性だったら、その相手も感染症をもらう可能性があります。それがもし初期だったら…。自分も気付かずに、悪気も無く、患者さんを危険にさらす可能性があるのです。
この感染初期の、ウイルス量が少なく検査では陽性にならない時期の血液を避けるために、「6か月以内の性的接触」の質問項目があるのです。
なので、日本もですが、ガボンの輸血センターでもこの項目について厳しく判定しています。
⑤採血
いよいよ採血です。
が、このまま続けると長くなるので次回にします!
日本でもなかなか見れない領域だと思うので、質問大歓迎です。
ということで、次回もまた献血部門についてお話します~
ベナン旅行②-ガボンとの違い-
先週に引き続き、ベナンのお話。
どちらも同じアフリカだから大体同じようなものだろうと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
まずは目で見て分かる違いから。
① バイク
ベナンに到着して少し歩いて気が付いたのは、バイクの多さ。
ベナンはバイクタクシーが多いらしく、車と同じくらいにバイクががんがん走っています。
ガボンではバイクはほぼ見ないので、新鮮な風景です。
ズラ―っとバイクが並んで走り信号待ちをしカーブを曲がっている様子は、なんだかアジアのどこかの国のような光景でした。
② 車
もう一つ気付いた違いは、車の種類。
ベナンの道路で見かける車は、古めのセダンや小さめの車たち。
一方、ガボンではランクルなどのSUV(大きい車)やベンツなどの高級車が主流。私の大好きなCX-5もよく見かけます。もちろん新型の車種も見かけます。
ここで思い出したのがこの話。
「ガボンのステータス」
ガボンに来たての頃に語学学校の先生から聞いた話なのですが、ここガボンは
「いい服を着て、綺麗な靴を履いて、大きい車に乗り、エアコンのガンガン聞いた部屋でパソコンの前に座って仕事をする(たとえパソコンの使い方を知らなくても)」
これがこの国のステータスだそうです。
そんな~って思っていましたが、1年も暮らすとこれがよく本当なのだと分かります。もちろんそうじゃない人も大勢いると思います。でも少なくとも、私のホストファミリーや職場の人はそういう印象です。
とくにホストファミリーはその通りで、豪邸に住み、お手伝いさんも運転手さんも警備員も雇っていて高級車に載ってハイヒールをかカツカツ鳴らして綺麗な恰好で仕事に行っているけれども、冷蔵庫の中は何も入っていない、食べるのは安い鶏肉とお米というスタイルでした。だからホームステイの3週間は、もう毎日が空腹で、朝食もパンがあればラッキー、バターが冷蔵庫に入っていたら天国かと思う多い日々でした。
↓ホームステイの夜ご飯。とにかくつらかった。
また、外観が超立派な病院でも中に入ると機材はない、水も流れないという施設もあるようです。私の職場輸血センターも、検査試薬はお金が無くて買えないのに、今は外観の改築工事をしています。
外見重視の国民性、これがガボンだと思っています。悪口ではありませんよ。
③ 服
外見と関連して、ベナンで見かけるベナン人は、アフリカ布(パーニュ)で作った服を着ている人がほとんどでした。とくに男性。
↓ 前回紹介した水上都市ガンビエのお宅訪問のときの写真。全員、カラフルなパーニュの服をきていますよね。
他にもパーニュを腰に巻いて結んでスカートにしている人なども大勢見かけました。
ではガボンはどうか、
ガボンでももちろんパーニュの服の人を見かけます。が、多いのはスーツやアイロンのかかったシャツに革靴、ワンピースやタイトスカートとハイヒールという洋服スタイルです。
↓大学病院でやった研修会のときの参加者たちの後ろ姿
では次は、外に出て歩いてみて感じた違い。
① ゴミ
まずは、ポイ捨てが少ない。
ガボンではもう、ほんとに、おいコラと言いたくなるくらいにポイポイとゴミをどこにでも捨てます。そこら辺の側溝や道路に空いた穴、砂浜や植木、どこでもゴミだらけです。車からポイっと飲み終えた缶を捨てたりもします。歩行者に危なすぎるから一回注意しました。
一方ベナンは見かけないわけではありませんが、圧倒的に少ない!特にペットポトルが落ちていません。
きっとポイ捨て習慣がガボン程ではないということもだと思いますが、ペットボトル等はお金になるそうなので捨てるにはもったいないという背景が大きいと思います。あとは、食べ歩きやポイ捨てするほどに物を買っていないようにも思えます。
そして、外の屋台で食べ物を買ってみて分かったのですが、ガボンでは外の屋台で買って持ち帰るとアルミホイルや発泡スチロールの容器に入れられます。
↓アルミホイルと紙に包まれた屋台飯のお持ち帰り(ガボン)
↓有名なタルタルソースのお店の持ち帰り(ガボン)
でもベナンでは、マイ皿を持っていくよう。
↓持っていった皿に盛ってもらいました(ベナン)
皿を持っていく人が多くなるからゴミも減る。エコですベナン。
② 治安
治安が良い!
もう本当にこんなにも安心して外を歩けたのは日本への一時帰国ぶりでした。JICAボランティアの犯罪被害がガボンに比べたら少ないようで、カバンも手に持って歩ける、スマホも外で出せる、身分証明書と貴重品を首から下げて服の中に隠さなくてもいい、夜も歩ける!
4日間の滞在でしたが、警察に止められ身分確認されることもなく、もちろん賄賂を要求されることもなく、夢かと思うほどに穏やかに過ごすことができました。
空港職員もみんな優しくて感動でした。
最後は家の環境の違いを紹介します。
ガボンのJICAボランティアは、私も含め、かなり恵まれた家に住まわせていただいています。治安がいいところを選ぶと必然的に高級住宅街になり、家も立派になる、電気ガス水道はもちろんあり、お湯も出る、家具付きが多いので洗濯機なども元からある、という感じで生活に大きいストレスを感じることはありません。
ではベナンはどうか。
申し訳なるくらいに違うようです。ベナンの場合は地方で活動する隊員が多いということもありますが、聞く限りかなり生活環境や食事事情が過酷です。水は濾過して使う、お湯なし、洗濯機なし、エアコンなしは当たり前だそうです。ただただ申し訳なくなります。
前回ご紹介した小学校教育で派遣されている高田さんは、シャワーが無いので貯めた水を外で浴びているそうです。他にも井戸水を汲んで生活している隊員さんもいるそうです。
そして食べ物も種類が少なく、とくにタンパク質が少ないので男性隊員は10㎏痩せるそうです。もはやこれは健康問題です。
アフリカにいるJICAボランティアと一括りにしても、国が違えば、全くと表現してもいいくらいに異なる環境で暮らし活動をしている。
そうすると悩む問題も、心の持ちようも、色んな物事が変わってくる。
生活環境はいかに精神衛生的に重要な要素、というかベースなのかと気づかされました。
他の国に行くことで良くも悪くも客観的にガボンを見ることができた、いい旅行となりました。
ちなみに、ガボンに帰国し、家に帰るために乗ったタクシーでありえない高額料金を運転手が請求し始め、「なんなんだよガボン!!!!」と早速日常のイライラ戦闘モードに戻り喧嘩して勝ち抜いた私でした。
最後に、他にもいろいろ気付いたことを箇条書きにして終えます。
・ベナンでは現地語が飛び交っていて言っていることが分からない
・ベナンの赤土の赤具合はより赤!
・人種差別用語に(本人に悪気があろうがなかろうが)、「シノアー(中国人)」の他にもベナンには「ヨボ(白人)」がある
・ベナンの方が家や店の塀が低め
・ベナン料理は辛い
・ベナンはガソリンが、瓶で売ってる(写真下)!!!!ガソリンスタンドもあるけど、こういう道端にある方が安いようです。でも、怖い…
来週からは、輸血センターの話に戻ります。
ベナン旅行①-奴隷の歴史-
1か月ぶりの更新になりました。
元気にやっております。
先週、任国外旅行でベナンへ行ってきました。
それはそれはもう、同じアフリカとは思えない様々な経験を得た貴重な時間となりました。ので、今回と次回はこのベナン旅行について2本立てでお話します。
1本目の今回、キーワードは「奴隷」です。
まずは参考までに前情報。
◆ベナン共和国◆
西アフリカに位置する国で、人口は1118万人(ガボンは約200万人)、面積は日本の3分の1くらい、主要産業は農業(ガボンは石油)、公用語はフランス語でガボンと同じく今年で独立から59年を迎えた国です。
◆VISA◆
ベナンに入国するにはVISAが必要です。
これがもう! VISAがおりるのがとっても早い!!!
ネットで申請をしたのですが、お金が引き落とされた瞬間にVISAの許可書が発行されました(笑) 早すぎて逆に心配になるくらい早かったです。
ちなみにガボンは最低でも3日、でもそんなにテキパキ職員が働くはずがないので2週間は必要です。
いや~凄いぞベナン。もうこれだけで好印象です。
◆飛行機◆
ガボンからは飛行機で1時間半という近さ。
ちなみに飛行機のチケットは往復4万前後(日本円)です。
さあ、いよいよベナン旅行の始まりです。
空港に到着して外に出ると、今回私たちをアテンドしてくれる同期の皆がお出迎えしてくれました。
久しぶりの会えるのが嬉しくて嬉しくて満面の笑みで駆け寄りました(笑)
同期って最高ですね(今回の旅で100回くらい感じました)。
さて、今回のキーワード「奴隷」に関して紹介するのは2か所。
まず一か所目は、「水上都市ガンビエ」
私たちが最初に訪れたのは、アフリカのベネチアと呼ばれる湖の水上都市ガンビエ。
歴史が苦手なのであっさりとした説明になりますが、ベナンは昔、奴隷貿易が行われていました。この貿易から逃げるために16~17世紀ごろ当時の国民は水上へ逃げ、そこで都市をつくり、生活を始めました。
そしてその都市が今でも残り続け、人々が生活をしています。
水上都市なので、もちろん移動は船。
エリックさんと今回の旅のツアコンで同期の高田さん(ガンビエ4回目のプロ)の案内で出発。いいコンビです。
20分ほど進むといよいよ見えてきました。水上都市。
本当に、水の上に家があり、そこに人々が暮らしています。
まさにテレビで見る世界です。
ここの人口は約4万5千人。
都市なのでもちろん、学校も病院もお店もあります。
【学校】
この学校には1000人の生徒が通っているそうです。もちろん通学は船。
【病院】
ここで出産できるそうです。入院治療やワクチン接種も出来るそうです。
【お土産屋】
ここガンビエには我々のような観光客が訪れるのでお土産があります。ちなみにホテルもありました。
【給水場】
ホースからどばどばと給水されています。飲み水などに使うそうです。どうやってこの水を準備しているのかフランス語が理解できませんでしたが、濾過ではないそうです。
【家】
ツアコン同期の高田さんがガイドさんから気に入られているようで、このガイドさんのお宅訪問が出来ました。床も思いのほかしっかりしていて、テレビもあり、ちゃんと家です。猫もいました。
ちなみに電気はソーラーパネルだそうです。エコだ。
【店】
こうやって船で物を売っているのもあれば、建物の中で売っているところもありました。
ここの住民たちの主な産業は、漁業。
男性が魚を採り、女性がそれを売るというのが伝統だそう。
大切な移動手段の船が各家庭に3つあり、父用、母用、子供用だそうです。
小さい頃から船移動なので、子供たちも楽々に船を乗りこなしています。
ちなみに猫や犬は泳ぐそうです。
そして個人的に一番驚いたのが人口の陸。
写真を撮り損ねましたが、所々に陸がありました。
水上都市に人口で陸を作る理由、それは子供たちが歩き方を学ぶためだそう。
生活の基盤は水上であり、家の中や、船の上だけではきちんと歩くことができないので、陸を作っているそうです。陸の上で生きる私たちにとっては成長と共に自然と歩き方が身につくものだと思っていましたが、水の上で生きる人々にとってはそうではないのだと驚き考えさせられた話でした。
こんな感じで水上都市ガンビエのツアーを終えました。
めちゃくちゃいい写真(ありがとうツアコン高田さん)
私たちにとってはガンビエの生活はかなり不便で過酷なものだと思います。でもここの人々はそんなことを感じさせないくらい笑顔で、そして性別も年齢も関係なく逞しく生きているように思えました。きっと彼らは、ここの歴史と祖先を誇りに思っているのだと思います。だからこそこの暮らしを続け守り続けているのだと感じました。
ちなみに、ガンビエ4回目ともなると信頼されまくりで運転もさせてくれるようです(笑)
なかなか見られない世界を体験できるガンビエツアー、ベナンに来たらぜひどうぞ。
そしてお次は、「奴隷街道と還らずの門ウィダ」
歴史が苦手な私でも覚えている三角貿易。ここウィダはその舞台のひとつです。
奴隷貿易で奴隷を売るアフリカ、奴隷を買うヨーロッパ、買った奴隷をアメリカ大陸で働かせ、奴隷の労働で生産された砂糖やコーヒーをヨーロッパは手にし、奴隷を売ったアフリカは武器と金を手に入れる。
その奴隷たちが通ったのが、ここウィダ。
ツアコン同期の高田さんが以前ブログで紹介し、鳥肌が立ち衝撃をうけた場所。
それ以来、アフリカで一番行きたい場所はここウィダでした。
ついにこの目で見て歩く日が訪れました。
朝方の雨で赤土の道はぐちゃぐちゃ。晴れ女の私には珍しい曇り空。
昔、同じ道を人々は歩き、奴隷として売られていった。
何を考え思い、ここを歩いたのか。そう考えると、なんとも言えない気持ちになります。
そして見えてきました、還らずの門。
ここを通れば、もう二度と戻って来ることはなかったと言われています。
門の正面、船へ向かって歩く奴隷の後ろ姿
門を通った奴隷の正面の姿
門を過ぎた先にある大西洋。
奴隷たちはここからアメリカへと向かっていきました。
同じ場所を歩き、同じ海を見ている。すごいところに来たなと感じました。
そして、ここを渡ることを拒み恐れた人々が作り上げたのが水上都市ガンビエ。
二度と戻ることのなかった奴隷たちと、逃げて生きたガンビエの人々。
歴史の重みを感じます。
大変嬉しいことに、ツアコン高田さんの本業は社会の先生。
先生の解説付きでウィダを歩くことができました。
そして彼の話の中で驚いたのが、歴史教育。
ここベナンで起きたことにも関わらず、「奴隷貿易」を知らない子供たち、大人たちが一定数存在するそうです。それはこの国には学校に行けないこどもたちが多くいること、学校でも歴史の授業があまり見受けられないことが関係しているそう。そして、日本のように映画や本で歴史を目にする機会もなく、調べたくても調べる方法が少ないという、調べられても文字が読めないなど、さまざまな途上国ならではの要因が重なっているようです。知るきっかけすら得ることができない、これは悲しい問題です。
この還らずの門ウィダと水上都市ガンビエは、奴隷の負の歴史と、身を守るために賢く逞しく生きたベナンの人々の強さを、世界にそしてベナン国民自身に教え諭す貴重な場所なのだと感じました。
ここに来れてよかった。
ということで、ずっと行きたかった場所ウィダでした。
どうでもいいんですけど、ウィダの帰りに食べたベナン飯パットは、美味しくなかったです。
白いのがパット
今回何度も登場したツアコンで同期で社会の先生である高田さんのブログにあるウィダの記事もぜひお読みください。もっと写真と解説が豊富です。
ちなみに彼のブログは私大好きで、尊敬する方なので、他の記事もぜひぜひご覧ください。
ガボンで健康診断
お久しぶりになってしまいました。
最近、出身大学の広報(WebマガジンHIROMAGA)に私の活動を載せていただきました。
素敵にまとめて頂き、嬉しい限りです。
ありがたいことに応援の言葉を沢山もらい益々元気をもらって活動をしています。
そして日本語だから何書いているのか分からなくても、ガボン国立輸血センターのみなさんも喜んでくれていて私も嬉しくなります。
「メイ、これ訳してよ。」
「多いから無理――――!」
というやり取りを繰り広げています。
広報活動は青年海外協力隊の重要な活動のひとつだと思っているので、もし「うちにも寄稿して」という方がいらっしゃいましたらぜひご連絡ください。可能な限りお受けします。
さて、今回はガボンに着いて一年が経過したので、JICAの規定で「健康診断」を受けてきました。
初の病院でドキドキわくわくだったので、臨床検査技師としての視点でどんな感じだったか書いていきます。
そしてそして、同期リレーブログが私の番なのでそっちに移ります~!
子どもの数
ご無沙汰してしまいました。
日本はそろそろ祭りが始まりますね。
青森っ子の私は、ねぶた祭が恋しいです。ラッセーラー言いながら跳ねたいです。
今日はよく聞かれることについてお話します。
ガボンでは知らない人と会話をする機会がよくあります。
その相手は、タクシーの運転手や乗り合いの乗客、スーパーの店員、道案内をしてくれた人、通りすがりの人、様々です。
そして必ずと言っていいほど、というかほぼ99%くらいでしょうか、必ず導入で聞いてくる質問があります。それは、
「子供は何人いるの?」
いやいや、そこはまず彼氏いるのとかでしょ!って突っ込みたい気分になります。
子どもの数なんて、日本では絶対にありえない、というか初対面で一番初めに聞いたらセクハラになる質問でしょう。
でもこの質問はこの国では、一番先に投げかけられる内容です。
聞いてくる質問の内容と順番は、
1.子供の数
2.結婚しているか
3.付き合っている人はいるか
4.今は家に誰と住んでいるのか
5.相手はどこにいるか
6.家に行っていいか(チャラい男は聞いてくる。)
7.今夜一緒に寝ないか(6を聞いてくる人は大体聞いてくる)
なんかもう…笑
ガボン生活し始めの頃は素直に答えていましたが、もう面倒なので「結婚している」と返事して、ガボンで旦那と一緒に住んでいることにしています笑。
あ、実際は独身です。
するどい人は、「なんで結婚指輪してないの」と聞いてきます。
おいおい良く見てるな~、と思いつつ「アレルギーだからつけてない」と返答するとアレルギーというもの知らない人が多いので、「???」となって会話が終わります。いい感じです。
そもそもなんでこんな質問の順番なんだと考えてみると、あっさり答えは見つかりました。
答えはこの国が抱えている問題です。それは、
「若年妊娠」
高校の制服を着たお腹の大きい女の子、赤ちゃんを抱えて歩いているまだ10代半ばくらい若い女の子、17歳で子供を産んだという職場の同僚たち
この国では若くして子供を産むというのが当たり前です。
ガボンの若年層(15-19歳)による出生率がまだ高い水準にあり、出生1,000人あたり135である。そして、20-49歳女性の約35%は、若年出産を経験しているのが現状である。国レベルでの出生率は、女性一人あたり4.2人子どもを産む水準である。
国連広報センター ブログより引用
付き合う、仕事をして安定した収入を得る、結婚する、子供を産む、そういう順番は関係なく「子供を産む」ということが一番最初にくる物事のようです。
むしろ子供がいるから働くという流れになるのかもしれません。
そして子供をたくさん産む女性、子供がたくさんいる男性はこの国では健康や財力を示す事柄になるようです。
これは、子供がきちんと生まれて育つというがいかに大変なことなのかを示しています。
保健分野で活動している隊員さんから聞いた話では、
HIV陽性の母親から産まれた子供もHIV陽性で、治療をしたけども亡くなってしまったとき
「また次の子を産めばいい」
とその母親は言ったそうです。
その子がまたHIV陽性だったどうするの?と聞くと
「陰性の子が生まれるまで産めばいい」
と答えたそうです。
なかなかにショックというか、命の重さを考えさせられます。
アフリカ = 大家族というイメージは、子供の数に対する意味の大きさを表していたとはこの国に来るまで、こんな質問をされるまで知りませんでした。
なので、私の年齢で子供ゼロ、結婚していないということはかなり珍しいというか何か病気でもあるんじゃないかというように思われるそうです。
ちなみに兄弟の数も聞かれて「姉と私の2人」と答えると、とんでもなくびっくりされます。
その驚きに逆に私もびっくりします。
日本では子供の数が1人や2人というのは普通だよというと、「そんな!あり得ない」という反応です。
なので「10人も子供がいたらテレビ局が取材に来るくらい珍しいことだよ」と教えています。
ということで、今回は子供の数に関するお話でした!
先程引用した国連のブログで、私もお世話になっている国連人口基金(UNFPA)のガボン事務所代表の方の記事がガボンの母子保健事情をとても分かりやすく書いてくださっているので興味のある方はどうぞご覧ください。
忘れん坊
青年海外協力隊が活動する配属先には必ず、「カウンターパート」というボランティアの補助をする現地人の職員がいます。
活動の相談役、報告書の修正役、そのほかのお助け役、簡単に言えば公式な相方です。
配属先によってはこのカウンターパートは協力的だったり、非協力的だったり、いい人だったり、意地悪だったり、そもそも仕事に来なかったりなどなど、様々です。
違う国にいる私の同期はカウンターパートが既に3回失踪しているそうです。
だいたい聞く話では、カウンターパートは非協力的という場合の方が多い気がします。
さて、私の配属先輸血センターはどうでしょう!
私のカウンターパートは…
協力的!!!!!
生物学の教員資格?(日本語でいい訳が思いつかない…)を持っているらしく、周りの職員からは一目置かれる存在。病院向けの講習会でも一番よく話しています。
↓青いシャツの人
ヘモビジランスという輸血後の情報を収集しているところの長をしています。
もちろん輸血の事にも熱心なので、わりと真面目に仕事しています。
そして私の活動のこと、フランス語の報告書の修正にとっても熱心です。
おそらく、このセンター内、というよりガボンでは血液型について一番か二番目くらいに詳しいので、私とよく血液型検査のことで熱い議論を交わします。
でも残念ながら血液型や不規則抗体など、輸血関連の知識はかなり初歩的なことでとまっています。
そもそもこの国には、医師や技師を含め輸血の専門家も、輸血関連の書籍もありません。
大昔に誰かが持ってきた他の国の資料を読んで勉強したところで情報は止まり、誰が言ったか分からない知識と技術が時間の経過とともに独自のアレンジが加えられ変に定着してしまっている様子です。
話が逸れましたが、私はカウンターパートに恵まれています。
が、ただ一つ、私を悩ます大きな問題があります。
良くしてくれている人のこと悪く書くなと思うかもしれませんが、これがもう言わずにはいられないのです…笑
その大きな問題とは、、、
記憶力
血液型検査で熱い議論をしていて、「ノートを車から持ってくる」と一度部屋を出て、戻って来ると「っす」と自分の席に座り何もなかったかのように仕事をし始める彼。「え、さっきの話は!?」と聞くと「あ!そうだった、えっと何だっけ」。
まじか~い!何しに出ていったんだ~い。
半年間かけて書いたセンターの現状評価をするフランス語のレポート。月一ぐらいで内容を話し合い、フランス語を修正してもらい、かなりの時間をかけて2人で完成させたレポート。なのに…笑 久々にそのレポートを開いたとき、まるで初めて見るかのような顔で言いました。「これ、誰が書いたの?このフランス語の意味どういうこと?」
おいおいおいおいおい、嘘だと言ってくれ(笑)
極めつけは先週の出来事。数十分前まで私と会話をしていたのに、机には分かりやすく荷物を置いていたのに、私がまだセンター内にいるということを忘れて部屋に鍵を掛けて帰ってしまいました。
入れないから戻ってこ~い!!!
毎回こんな感じです
初めの頃は、病気かと心配したり、活動が足踏みになりイライラしたり、本気で困ってしまいJICAに相談したりしていましたが、最近はもう慣れて笑って見過ごせるようになりました。
何度か用事があってセンターに来てくれる他の隊員さんも、彼の記憶力を知っているので毎回「はじめまして」の挨拶をします。シュールに面白いです。
こんな彼ですが、とてもいい人です。
私もボランティアですが、彼がカウンターパートを引き受けて協力してくれているのもボランティアです。
感謝です。
今後どんな面白エピソードが増えるか少々期待しながら、カウンターパートと共に残りの1年の活動をしていきます!!
まさかの食中毒
海外、とくに途上国では食中毒はつきものです。
自分の健康は自分で守るために、青年海外協力隊になる前の70日間の訓練では健康に関する講座があります。
そして検査技師である私は、その70日間の訓練の前にも「マラリア技術補完」という講習をうけ(しかもマンツーマンで1週間)、マラリアはもちろん、そのほかの寄生虫、そして食中毒にならないための生活の仕方など、かなり貴重な内容をみっちり学習してきました。
せっかくなので、その技術補完で学んだ食中毒対策まとめを最後に載せます。
そして本題、まさかの食中毒。
5月初旬の話になります。
ガボンに来てから10ヶ月の間、技術補完で学んだことをきちんと活かし、一度も食中毒にかかりませんでした。
家での調理はもちろんですが、外で食べる屋台飯やレストランのものは特に気をつけていました。
そんなある日、大手チェーンのファストフード店がガボンへ登場しました。
ずばり、ケンタッキー。
「ガボンでケンタッキー!」我々日本人はテンション上がりました。
そしていつも私たちボランティアに良くしてくれている専門家さんがこのケンタッキーを買っておすそ分けしてくれました。3人で分け合ったケンタッキー・フライド・チキン。
久々のケンタッキーが嬉しくて、日本のよりもジューシーだなぁなんて思いながらむしゃむしゃいただきました。
2日後の昼、やってまいりました。
腹痛、下痢、微熱、吐き気、倦怠感
そのときはまさかと思い、ただ具合が悪いだけだと思っていました。
が、
次の日に同じくケンタッキーを分け合ったもう一人のボランティアから連絡があり、彼女も同じ症状だと判明。まさかのまさかと思い、最後の一人の専門家さんにも連絡。そのまさかのまさかで、同じ症状。
おそらくカンピロバクターでしょう。
ケンタッキーで食中毒
そこらへんの屋台の店でもお腹壊したことなかったのに、あの大手チェーンで食中毒。
まさかの事件です。
思い返すと、あのとき感じたジューシーさは血抜きと火の通りがあまかったのだと反省。
ジューシーと思った自分アホすぎる。
ケンタッキーだからと、警戒心がゼロになっていました。
猛反省。
大手チェーンといえども、途上国は途上国。
作っているのは現地の人。
マニュアルはあってもそれに従うかどうかは未知。
「大手チェーンでも安心はするな」
とてもいい教訓を得ました。
日本では大丈夫だと思いますが、
みなさんも外国へ行ったときはご注意を。
ということで最後に、技術補完で学んだ内容をどうぞ。
◆食中毒関連の注意事項◆
◎水関係
・脱水状態の確認は富士山チェック(手の甲の皮膚をつまんで引っ張って、離したときに元に戻らなければ脱水状態)
・水分補給にはココナッツもよい(無菌です)
・バナナ最強
・水道水を飲むなら、60℃以上で熱する。そのあと、時間をおいて不純物を沈殿させるとさらによい。
・外で出された水は目の前でペットボトルのキャップを開けたもののみを飲む
・氷も注意
・途上国の水道水によくいるクリプトスポリジウム(寄生虫)は、塩素では死なないが煮沸で死ぬ
・そしてそいつは果物にもいる
・店に売ってあるペットボトルや紙パックの水、ジュース、牛乳も腐っていることがあるから飲む前に確認(牛乳開けたらドロドロだったことあり)
◎食べ物関係(私の経験も含まれています)
・口に入れるものはもちろん、手にも気を付ける
・目の前で調理されたものを食べる(いつどうやって作ったのか分からないものは危険)
・ゆげが出てないものは食べない
・My皿、Myスプーン、Myフォークなどを持っておくと安全
・My○○を持ってなかったら食べる前に必ず拭く
・コップも拭く
・ストローも実は危険
・生野菜は食べない
・サンドイッチに入っている野菜等も生は危ない
・鶏肉は特に要注意
・魚も生焼けに注意
・スーパーで売っている食品でも既に賞味期限切れていることあるから確認する
・スーパーで売っている食品でも虫余裕で入り込んでいるから注意(特に米)
・蒸し暑い地域では、昼時を過ぎて売れ残っている屋台飯はやや注意が必要
そこまでしなくても~と思うかもしれませんが、苦しい思いはしたくないのでわりと忠実に守っています。
その結果約1年間で食中毒はケンタッキーのみです!
次回は、輸血センターのお話にもどります~。