我らのガボン日記 ー臨床検査技師編ー

青年海外協力隊としてガボンで輸血医療向上を目指す臨床検査技師の日記

ベナン旅行①-奴隷の歴史-

1か月ぶりの更新になりました。

元気にやっております。

 

先週、任国外旅行でベナンへ行ってきました。

それはそれはもう、同じアフリカとは思えない様々な経験を得た貴重な時間となりました。ので、今回と次回はこのベナン旅行について2本立てでお話します。

1本目の今回、キーワードは「奴隷」です。

 

まずは参考までに前情報。

ベナン共和国

西アフリカに位置する国で、人口は1118万人(ガボンは約200万人)、面積は日本の3分の1くらい、主要産業は農業(ガボンは石油)、公用語はフランス語でガボンと同じく今年で独立から59年を迎えた国です。

 

◆VISA◆

ベナンに入国するにはVISAが必要です。

これがもう! VISAがおりるのがとっても早い!!!

ネットで申請をしたのですが、お金が引き落とされた瞬間にVISAの許可書が発行されました(笑) 早すぎて逆に心配になるくらい早かったです。

ちなみにガボンは最低でも3日、でもそんなにテキパキ職員が働くはずがないので2週間は必要です。

いや~凄いぞベナン。もうこれだけで好印象です。

 

◆飛行機◆

ガボンからは飛行機で1時間半という近さ。

ちなみに飛行機のチケットは往復4万前後(日本円)です。

 

 

さあ、いよいよベナン旅行の始まりです。

 

 

空港に到着して外に出ると、今回私たちをアテンドしてくれる同期の皆がお出迎えしてくれました。

久しぶりの会えるのが嬉しくて嬉しくて満面の笑みで駆け寄りました(笑)

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同期って最高ですね(今回の旅で100回くらい感じました)。

 

 

さて、今回のキーワード「奴隷」に関して紹介するのは2か所。

 

 

まず一か所目は、「水上都市ガンビエ」

 

 

 

私たちが最初に訪れたのは、アフリカのベネチアと呼ばれる湖の水上都市ガンビエ。

歴史が苦手なのであっさりとした説明になりますが、ベナンは昔、奴隷貿易が行われていました。この貿易から逃げるために16~17世紀ごろ当時の国民は水上へ逃げ、そこで都市をつくり、生活を始めました。

そしてその都市が今でも残り続け、人々が生活をしています。

 

水上都市なので、もちろん移動は船。

 

 エリックさんと今回の旅のツアコンで同期の高田さん(ガンビエ4回目のプロ)の案内で出発。いいコンビです。

 

20分ほど進むといよいよ見えてきました。水上都市。

 

 

本当に、水の上に家があり、そこに人々が暮らしています。

まさにテレビで見る世界です。

 

 

ここの人口は約4万5千人。

都市なのでもちろん、学校も病院もお店もあります。

 

【学校】

この学校には1000人の生徒が通っているそうです。もちろん通学は船。

 

 

【病院】

ここで出産できるそうです。入院治療やワクチン接種も出来るそうです。

 

 

【お土産屋】

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ここガンビエには我々のような観光客が訪れるのでお土産があります。ちなみにホテルもありました。

 

 

 【給水場】

ホースからどばどばと給水されています。飲み水などに使うそうです。どうやってこの水を準備しているのかフランス語が理解できませんでしたが、濾過ではないそうです。

 

 

【家】

ツアコン同期の高田さんがガイドさんから気に入られているようで、このガイドさんのお宅訪問が出来ました。床も思いのほかしっかりしていて、テレビもあり、ちゃんと家です。猫もいました。

 

ちなみに電気はソーラーパネルだそうです。エコだ。                                                     

 

 

【店】

こうやって船で物を売っているのもあれば、建物の中で売っているところもありました。

 

 

ここの住民たちの主な産業は、漁業。

男性が魚を採り、女性がそれを売るというのが伝統だそう。

 

 

大切な移動手段の船が各家庭に3つあり、父用、母用、子供用だそうです。

小さい頃から船移動なので、子供たちも楽々に船を乗りこなしています。

ちなみに猫や犬は泳ぐそうです。

 

 

そして個人的に一番驚いたのが人口の陸。

写真を撮り損ねましたが、所々に陸がありました。

水上都市に人口で陸を作る理由、それは子供たちが歩き方を学ぶためだそう。

生活の基盤は水上であり、家の中や、船の上だけではきちんと歩くことができないので、陸を作っているそうです。陸の上で生きる私たちにとっては成長と共に自然と歩き方が身につくものだと思っていましたが、水の上で生きる人々にとってはそうではないのだと驚き考えさせられた話でした。

 

 

こんな感じで水上都市ガンビエのツアーを終えました。

 

 

めちゃくちゃいい写真(ありがとうツアコン高田さん)

 

 

私たちにとってはガンビエの生活はかなり不便で過酷なものだと思います。でもここの人々はそんなことを感じさせないくらい笑顔で、そして性別も年齢も関係なく逞しく生きているように思えました。きっと彼らは、ここの歴史と祖先を誇りに思っているのだと思います。だからこそこの暮らしを続け守り続けているのだと感じました。

 

 

ちなみに、ガンビエ4回目ともなると信頼されまくりで運転もさせてくれるようです(笑)

 

 

なかなか見られない世界を体験できるガンビエツアー、ベナンに来たらぜひどうぞ。

 

 

 

 

そしてお次は、「奴隷街道と還らずの門ウィダ」

 

 

 

歴史が苦手な私でも覚えている三角貿易。ここウィダはその舞台のひとつです。

奴隷貿易で奴隷を売るアフリカ、奴隷を買うヨーロッパ、買った奴隷をアメリカ大陸で働かせ、奴隷の労働で生産された砂糖やコーヒーをヨーロッパは手にし、奴隷を売ったアフリカは武器と金を手に入れる。

その奴隷たちが通ったのが、ここウィダ。

 

 

ツアコン同期の高田さんが以前ブログで紹介し、鳥肌が立ち衝撃をうけた場所。

それ以来、アフリカで一番行きたい場所はここウィダでした。

 

 

ついにこの目で見て歩く日が訪れました。

 

 

朝方の雨で赤土の道はぐちゃぐちゃ。晴れ女の私には珍しい曇り空。

 

昔、同じ道を人々は歩き、奴隷として売られていった。

何を考え思い、ここを歩いたのか。そう考えると、なんとも言えない気持ちになります。

 

 

そして見えてきました、還らずの門。

 

 

 

 

ここを通れば、もう二度と戻って来ることはなかったと言われています。

 

 

 門の正面、船へ向かって歩く奴隷の後ろ姿

 

門を通った奴隷の正面の姿

 

 

門を過ぎた先にある大西洋。

奴隷たちはここからアメリカへと向かっていきました。

 

 

同じ場所を歩き、同じ海を見ている。すごいところに来たなと感じました。

 

 

 

 

そして、ここを渡ることを拒み恐れた人々が作り上げたのが水上都市ガンビエ。

二度と戻ることのなかった奴隷たちと、逃げて生きたガンビエの人々。

歴史の重みを感じます。

 

 

大変嬉しいことに、ツアコン高田さんの本業は社会の先生。

先生の解説付きでウィダを歩くことができました。

 

そして彼の話の中で驚いたのが、歴史教育

ここベナンで起きたことにも関わらず、「奴隷貿易」を知らない子供たち、大人たちが一定数存在するそうです。それはこの国には学校に行けないこどもたちが多くいること、学校でも歴史の授業があまり見受けられないことが関係しているそう。そして、日本のように映画や本で歴史を目にする機会もなく、調べたくても調べる方法が少ないという、調べられても文字が読めないなど、さまざまな途上国ならではの要因が重なっているようです。知るきっかけすら得ることができない、これは悲しい問題です。

 

この還らずの門ウィダと水上都市ガンビエは、奴隷の負の歴史と、身を守るために賢く逞しく生きたベナンの人々の強さを、世界にそしてベナン国民自身に教え諭す貴重な場所なのだと感じました。

 

 

ここに来れてよかった。

 

 

ということで、ずっと行きたかった場所ウィダでした。

 

 

 

どうでもいいんですけど、ウィダの帰りに食べたベナン飯パットは、美味しくなかったです。

 白いのがパット

 

 

今回何度も登場したツアコンで同期で社会の先生である高田さんのブログにあるウィダの記事もぜひお読みください。もっと写真と解説が豊富です。

hiroyuki913.hatenablog.com

 

ちなみに彼のブログは私大好きで、尊敬する方なので、他の記事もぜひぜひご覧ください。

 

では、次回もベナン旅行記で「ガボンとの違い」をお話します。